滝沢馬琴終焉の地(12) [千駄ヶ谷物語]
小生の千駄ヶ谷散歩にかかぁが同行した。鳩森八幡神社近くのマンションアパレル社の店頭売りで、かかぁはショールを買い、あたしはマークなし無地の野球帽を買った。国立競技場を一周して絵画館辺りで「疲れた」で、信濃町駅歩道橋脇のカフェで休憩。
屋外テラスもあるおしゃれな店内。かかぁはジンジャーティとドルチェ。店名は「カフェ・シェーキ―ズ外苑信濃町」。同じ建物内の反対側に日高屋がある。その店先に新宿区指定史跡看板「滝沢馬琴終焉の地」がある。看板には史跡指定年月・平成25年3月。
小生、4年前の弊ブログ「馬琴旧居巡り」(計7回)で、ここへ辿り着いている。「馬琴終焉の地」は従来研究者らが探すも特定できず。小生も幾度となく一行院辺りを彷徨ったが、新宿の郷土史家・鈴木貞夫氏が、百人町で自身のルーツ調べをしている篠原氏に逢うと、なんと「曾祖父の家が馬琴住居跡でした」であっけなく判明。鈴木氏は「唖然として二の句が継げなかった」と。氏は江戸時代の「沽券図」と明治7年の「東京大小区分絵図」と明治17年測量の「東京実測図」を同一スケールにして検証し、この地を「馬琴終焉の地」と特定した。
かくして平成25年の新宿区指定史跡になった次第。馬琴の生誕地は深川。元飯田(九段下辺り)の履物屋の寡婦〝お百さん〟へ入夫し、武士を捨て町人読み物作家へ。息子が大名抱医師になって一代士族。神田明神下同明町へ。息子病死後は、孫を士族にすべく御家人株を売りたい信濃町の同心屋敷地と権利を買って転居した。
『馬琴日記』を読むと、この辺りで暮した江戸人の暮しが伺える。千駄ヶ谷散歩や国立競技場への最寄り駅を信濃町駅にする場合もあろう。そんな時の休憩に「カフェ・シェーキーズ」か「日高屋」に寄った際は、滝沢馬琴や馬琴と喧嘩しつつ挿絵を描いた北斎らに想いを馳せるのもいいかもです。
写真は日高屋前の史跡看板掲載の馬琴さん。次回の「千駄ヶ谷物語」は、明治時代に千駄ヶ谷に十万坪を有した徳川宗家・家達邸について。
2018-03-24 09:01
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