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方丈記19:日野山に方丈の庵 [鶉衣・方丈記他]

kokoni60no_1.jpg 爰に六十(むそぢ)の露きえがた(消え方=消えかけるころ)にをよびて、更に末葉のやどり(晩年の住居)をむすべること有。いはば狩人(岩波文庫版は〝旅人〟)の一夜の宿を作り、老たるかいこの眉(蚕の繭)をいとなむがごとし。これを中頃のすみかになずらふ(準ふ・疑ふ=較べる)れば、又、百分の一にも及ばず。とかくいふ程に齢はとしとしにかたぶき(衰え)、すみかは折々にせばし(狭し)。其家の有様よのつねならず。ひろさはわづかに方丈。たかさは七尺がうち也。所をおもひさだめざるがゆへに、地をしめて作らず。土居をくみ、打おほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へ移さんが為也。其改め造る時いくばくの煩か有。つむ所わづかに二両也。車の力をむくふる外は更に用途いらず。

 いよいよ方丈の庵の説明です。「爰」に馴染なく毎回戸惑う。=ここに、エン、オン、ひく、かえる。(爰許=ここもと)。高さ七尺=2mほど。広さは五畳ほど。しかも組み立て式で、二両あれば移動運搬可能。

 いま、日野山の奥に跡をかくして、南に仮の日がくしをさimahinoyamano_1.jpgし出して、竹のすのこをしき、其西に閼伽棚(あかだな=仏に供える物を置く棚)を作り、中には西の垣に添て阿弥陀の畫像を安置し奉りて、落日を請(うけ)て眉間の光とす。彼帳のとびらに普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上にちいさきたなをかまへて、くろき皮籠三四合を置。すなはち和歌、管弦、往生要集ごときの抄物(抜き書きしたもの)をいれたり。傍に箏、琵琶をのをの一張をたつ。いはゆるおりごと(折琴)、つぎ琵琶これ也。

 ●眉間の光=仏の眉間の白毫から放つ光。 

 東にそへえてわらびのほとろ(蕨の穂の伸び過ぎてほうけたもの)をしき、つかなみ(束並み=藁を畳の広さに編んだ敷物)を敷て、夜の床とす。東の垣に窓をあけて、爰にふつくゑ(文机)をつくり出せり。枕のかたに、すびつ(炭櫃)あり。これを柴折くぶるよすが(手段)とす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。則(すなはち)諸(もろもろ)の薬草を載(うへ)たり。仮の庵の有様かくのごとし。

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