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方丈記20:自然と独居の愉しさ [鶉衣・方丈記他]

sonotokoro_1.jpg 方丈の説明、その暮しが記されます。

 其所のさまをいはば(云はば=云ってみれば)みなみにかけひ(南に掛樋)あり。岩をたゝみて(畳む、いじめて? 岩波版は〝岩を立てて〟)水をためたり、林軒(はやしのき。岩波版は〝林の木〟)近ければ、爪木(つまぎ=薪にする小枝)を拾ふにともし(乏し)からず。名を外山(岩波版は〝音羽山〟)といふ。正木のかづら(ツタマサキ)、跡をうづめり。谷しげけれど西は晴たり。観念のたより(山の人的形象?)なきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西の方に匂ふ。夏は時鳥(岩波版は〝郭公〟)をきく。かたらふごとに(鳴くたびに)しで(死出)の山路をちぎる(冥土の山路の道案内を約束する)。秋は日くらしの声みみにみちて、空蝉(うつせみ=現世)の世をかなしむと聞ゆ。冬は雪を憐む。つもりきゆるさま、罰障にたとへつべし。もし念仏ものうく、読経まめならざる時は、みぢからやすみ、みぢからおこたる。さまたくる人もなく、又恥べき人もなし。

 「罪障にたとへつげく=罪障の山に=罪の山に〝例へつげく=たとえることができよう〟。江戸版は古本(岩波版)に逆らうように、様々に言葉を変えています。

 殊更に無言をせざれども、ひとりをれば、口業をおさめつべし。かkotosarani_1.jpgならず禁戒を守としもなけれ共、境界なければ、何に付てかやぶらん。若跡の白波に身をよする(我が身を較べる)朝には、岡の屋に行かふ舟をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もし桂の風ばちをならす夕には、潯陽(じんやう)の江を思ひおもひやりて、源都督のながれをならふ。もしあまり興あれば、しばしば松のひびき秋風の楽をたくへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなければ、人の耳を悦ばしめんとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心をやしなう斗也。

 「口業をおさめつべし=三業のひとつ、妄語、悪口を納むることになろう」。「境界=けいかい(地所の境)」だが「きょうがい=境遇」。ここでは俗悪にまみれた境遇。●岡の屋=宇治の岡屋。●満沙弥=飛鳥~奈良の歌人。出家して、その歌に無常観あり。●桂や潯陽は中国。この文章は漢詩的散文です。「秋風の楽をたくへ」の〝たくへ=たぐふ=添わせる〟。●源都督=源経信。大納言、平安中期の歌人。

 

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