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方丈記24:自分の為の家とは [鶉衣・方丈記他]

subeteyono_1.jpg すべて世の人の住家を作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子・眷属(けんぞく=一族郎党)の為につくり、或は親昵(しんぢつ=親しい人、昵懇の人)、朋友のために作る。或は主君、師匠及び財宝、馬牛のためにさへこれを作る。我今、身の為にむすべり。人の為につくらず、故いかんとなれば、今の世のならひ。此身の有様。ともなふべき人もなく、たのむべき屋つこ(奴=使用人)もなし。たとひ、ひろくつくれり共、誰をやどし、誰をかすへん(据へん)

 今の言葉で云えば、究極のシンプルライフ、断捨離、ミニマリストの暮し。妙に現代の時流に合っているから面白い。

 それ(夫、そもそも)、人の友たる者は、とめるをたうとみ(富めるを尊み)、ねんごろ(外見上の親切)なるを先とす。かならずしも、情あると直成(すなおなる)とをば愛せず(人情ある者、素直な者を愛せず)。たゞ糸竹(弦管楽器)、花月を友とせんにはしかず。人の奴たるものは、賞罰のはなはだしきをかへりみ、恩のあつきをおもくす。更に、はごくみあはれふといへども、やすく静なるをばながはず(穏やかで静かであることなど願っていない)。

 ただ我身をやつことするにはしかず。もしすべきことあれば、則をのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど(弛からず=だるいわけではないが)、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。若ありくべきことあれば、みづかsorehitonotomo_1.jpgらあゆむ。苦しといへ共、馬・鞍・牛・車と心をなやますには似ず。

 今、都心在住者に、自家用車所有欲がない。車を持つ煩わしさ、経費を嫌っている。『方丈記』が著されたのが1212年。それから806年です。

 五味文彦は、これら長明の〝住宅論〟は、吉田兼好『徒然草』に受け継がれてゆくと記している。「家の作りやうは夏をむねとすべし~」。小生はまた、横井也有『鶉衣』にも引き継がれていると追記したい。也有翁は頭を剃っても「夏をむねとこそと思ひ定めて~」と『徒然草』を引用するほど。次回は長明の〝身体論〟へ。

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