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白秋と俊子のその後(25) [千駄ヶ谷物語]

hakusyue.jpg_1.jpg テーマは千駄ヶ谷。白秋がこの地を去れば、幾冊もの白秋関連書とも別れることになる。特定地域調べはロードムービーならぬ〝来ては去って行く人々〟を見る定点カメラのようです。

 そうとはわかっているも、白秋・俊子のその後を少しだけ追う。二人は市ヶ谷の未決監に収監され、弟・鐵雄が必死の奔走・金策でようやく示談で2週間後に釈放。示談金300円。鐵雄の保険会社月給15円。300円を手にした夫がニンマリするのもわかる。明治45年7月刊『桐の花』には情念の未練・苦悶の歌や散文が収録されている。

 「君かへす朝の敷石さくさくと雪と林檎の香のごとくふれ」「あだごころ君をたのみて身を滅し媚薬の風に吹かれけるかな」。そして囚人馬車「かなしきは人間のみち牢獄みち馬車の礫満(こいしみち)」。こんな事態に〝みち〟リフレインで遊んでいる。白秋、相当にしたたかです。「編笠をすこしかたむけよき君は紅き花に見入るなりけり」。惚れた人妻の腰と手に縄、編笠の囚人姿を見ている。次は獄中歌。「鳩よ鳩よをかしからずや囚人の〝三八七〟が涙ながせる」。白秋の囚人番号を詠っている。

 釈放された二人は、白秋の両親、弟・妹と共に東京脱出で三浦半島の三崎へ移住。陽光を浴びて再生を図る。「城ヶ島の女子うららに裸となり見れば陰(ほと)出しよく寝たるかも」。気分はゴーギャンです。

 しかし生計苦しく、家族らは東京へ戻り、二人はなんと!小笠原・父島へ渡る。同行は三崎で結核療養中だった姉妹二人。だが小笠原はよそ者には厳しかった。「聞いて極楽、住んで地獄」。四か月後に帰京して俊子と離婚。白秋の二番目の妻・章子も凄かったがここで終わる。荷風さんの「素人に手を出しちゃいけませんぜい」の声が聞こえます。

 絵は俊子と離婚後の大正3年(1914)刊の詩集『白金之獨楽』掲載の白秋画。手前に鶴、田畑で働く人々と富士山か。南海の沖に島が聳えて、ペンギンと魚が空を飛んでいる。〝気分はゴーギャン〟と言ったが、白秋の画才やはり凄い。(国会図書館デジタルより)

 次は白秋の同郷・同歳の島田旭彦が、千駄ヶ谷に広東料理店「楽々」を出して失敗した話。白秋は島田のガンジーのような風貌を「よく云えば男の藤陰静枝かな」と評したとか。静枝さんは、荷風の二番目の妻。

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