方丈記26:住まずして誰が悟らん [鶉衣・方丈記他]
大かた世をのがれ身を捨てしより、うらみもなく、おそれもなし、命は天運にかませておしまづ、いとはづ(厭はず)身をば浮雲になずらへて(準ふ、疑ふ=準じる、片を並べて)、頼まずまだし(未だし=時期尚早)とせず。一期のたのしみはうたたねの枕の上にきはまり、生涯の望は折り折りの美景に残れり。(ここまでは岩波文庫版にない文章です) それ三界はただ心一つなり。心若安からずは、牛馬・七珍(乗り物の家畜・宝物)も由なく、宮殿望なし。今さびしき住ゐ、一間の庵、みづからこれを愛す。
をのづから(たまたま)みやこに出ては、乞食となれることをはづといへども、かへりて爰に居る時は、他の俗塵に着することをあはれふ。もし人此いへることをうたがはば(云える事を疑えば)、魚鳥の分野(ありさま)を見よ。魚は水にあかず、うほ(魚)にあらざれば其心をしらず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば其心をしらず。閑居の気味も又かくのごとし。住ずして誰かさとさん。
●三界(欲界=淫欲・食欲・色界)。●後半の文は、住まずして誰がわかろうか、と居直っている。『方丈記』次で終わりです。
2018-05-15 07:00
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