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ハイツの独身兵舎問題(46) [千駄ヶ谷物語]

heisei1nen.jpg_1.jpg 駐留米兵の性の、巷への拡散例として昭和28年の代々木山谷の米兵相手のホテル検挙を挙げた。そんな折にワシントンハイツ内に「独身兵士宿舎建設」計画が物議をかもした。

 これは、かねてより渋谷区に小中学校が少なく、同ハイツ参宮橋寄りの地を払い下げてもらっての学校建設計画が期待されていた矢先のこと。同宿舎によって更なる風紀の乱れを危惧した父兄(山谷小、代々木小)や神宮崇敬婦人会らが立ち上った。それが「代々木基地反対運動」。

 神宮崇敬婦人会・会長は鷹司綏子さん(徳川家達次女)。夫の明治神宮・宮司の鷹司信輔氏は以前から「明治神宮内苑・外苑に米兵使用済避妊具が捨てられている」と苦言。しかし周辺住民の反対運動空しく、昭和30年(1955)に14棟の米兵独身宿舎が竣工・入居。

 上記を紹介する秋尾沙戸子著には、こんなデータも記されていた。代々木、千駄ヶ谷、原宿辺りの連れ込み旅館は昭和22年に数軒、26年に60軒、28年に75軒、昭和32年には102軒。米兵相手の売春婦検挙も比例増加。だが、この急増は当然の推測として、日本人同士の〝連れ込み宿〟急増が含まれよう。

 ここで昭和41年刊「新修渋谷区史(下巻)」をひもといた。昭和32年2月の「文教地区指定の要望書」が掲載されていた。概要は次の通り。「最近区内に温泉マークの旅館、ホテルが急増し、その数は246軒に及び、そのうちの約半数の100軒が千駄ヶ谷、代々木、原宿近くに集結。該当地区には鳩森小学校、山谷小学校、代々木小学校、神宮前小学校、千駄ヶ谷小学校、外苑中学校があり、これら学校は旅館、ホテルに取り囲まれる状態であり、鳩森小学校の如きは真ん前に旅館建設で正門を閉じざるを得ぬ状況」と現状を訴えて「学校周辺を第1種文教地区、その他を第2種文教地区に指定すべく特段の処置を講ぜられる様お願い申し上げます」

 その結果。昭和32年4月に文教地区指定が決定。これには昭和33年(1958)年のアジア競技大会、翌年に5年後の東京オリンピック開催決定も反映したと考えられる。写真は国土交通省公開のワシントンハイツ写真。参宮橋寄りに独身宿舎兵14棟がはっきりと写っている。次は千駄ヶ谷4丁目「鳩森小学校」の環境浄化運動について。

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