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『ワシントンハイツの旋風』(50) [千駄ヶ谷物語]

itirikihon.jpg 山本一力さんのテレビ出演を拝見すると、無理して〝江戸っ子ぶって〟いるような物言いが気になって、彼の時代小説を読む気にならないのですが、自伝的現代小説『ワシントンハイツの旋風』(2003年刊)を読んでみた。

 氏は昭和23年(1948)高知市生まれ。昭和37年に、ひと足早く上京した母と妹の落ち着き先へ。そこが代々木八幡駅近く「読売新聞」富ヶ谷専売所。配達員15名が2段ベッド暮し。先輩らは〝集団就職世代〟だろうか。「賄いのおばさんの息子」と紹介され、翌日から新聞配達をしつつ区立上原中学へ通った。

 妹がワシントンハイツを案内する。「真っ白に塗られたフェンスの先には、小高い丘が連なっており、その丘も緑の芝生におおわれていた。平屋の家が、その丘のなかに点在している。日曜日の午前中の陽を浴びて、芝生はこどもたちがキャッチボールを楽しんでいた。走っている車は、大型のアメリカ車。幌を外したオープンカーも何台か見えた」

 同僚の紹介で米国在住少女と文通。英語習得目的でハイツ内の英字新聞70部配達を希望。学校では目立たぬ少年も「赤い缶コーラ」を見せると注目を浴びた。都立世田谷工業高校(小田急・成城学園駅下車)へ。高1の7月、ハイツの東京オリンピック選手村建設工事開始で、ハイツ内の新聞配達は終わった。

 高校2年、失恋。彼女の母が自宅でピアノ教室。悔しさに奮起して代々木上原のピアノ教室へ通う。先生は16歳上の人妻。やがて二人は〝連れ込み宿〟で性を貪る。同書には新宿南口の旅館とあるも、その辺は林夫美子が大正11年頃に1日30銭で泊まった昔の旭町の木賃宿街。人妻利用の〝連れ込み宿〟なら、南口から新宿御苑・千駄ヶ谷門寄り、鳩森小学校辺りの旅館が相応しい。

 昭和41年(1966)、高校卒業後に「〇無線」に就職。人妻が手続き・支払いを済ませたT大近くのアパートが愛欲部屋になる。その後「銀座ヤマハ」(山野楽器かも)陳列ピアノを弾き、その演奏に併せ弾いた2歳上の銀行員とも〝連れ込み宿〟へ。人妻から仕込まれた性で、処女の銀行員はメロメロ。彼女の勧めで旅行会社へ就職。高度成長期の象徴・大阪万博の宿泊所不足に、ラブホテル利用を提案などで活躍。そして次の女性へ。

 代々木八幡やワシントンハイツで中・高時代を過ごした少年の性遍歴、四国の少年の一旗揚げるまでの成り上がり物語のようでした。次は千駄ヶ谷3丁目の豪邸に住んだ「江利チエミ評伝」を読んでみます。街々の歴史は共通でも、そこを通過する人も人生も、実にさまざまです。

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