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江利チエミの千駄ヶ谷(51) [千駄ヶ谷物語]

tiemi_1.jpg 千駄ヶ谷3丁目に〝チエミ御殿〟があった。藤原佑好『江利チエミ 波乱の生涯』(五月書房)を読んでみた。

 江利チエミ、本名・久保智恵美。父・益雄は福岡生まれ。18歳で上京し、柳家三亀松の都々逸の相三味線やピアノ伴奏(小生、三亀松が好きで、カセットで都々逸集を拵えたことあり)。母は入谷生まれの浅草軽演劇の女優・谷崎歳子。夫妻に3人の兄が生まれ、昭和12年(1937)1月、智恵美誕生。

 戦後、父は三亀松と喧嘩別れで極貧生活。細々と進駐軍クラブでピアノ伴奏。某日、GIらが集う料亭でチエミが歌って大喝采。それを機に、小5から父と全国キャンプ巡り。昭和26年(1951)14歳、有楽座で初舞台。歌い方が同じだと笠置シズ子がクレーム。同年6月、母病没。その9日後にキングで『テネシー・ワルツ』レコーディング。一躍大スター。昭和28年に渡米、ロスの日本劇場で4日間、ハワイ国際劇場で公演。

 昭和31年(1956)に千駄ヶ谷へ。会報誌に記された〝ちえみ御殿〟説明文。「25年前に某伯爵(徳大寺侯爵?)が建て、その後に外人が長い間住んで荒れていたのを3ヶ月半の改修で新洋館へ。室内は天然色映画セットのようにカラフル。シャンデリア、応接間2、食堂、台所、風呂場、トイレ。2階は日本間と私の部屋2つと寝室他。3階は兄の部屋、客間など。外に蔵、物置と犬小屋、ベランダと広い庭、鉄扉とガレージ。家の真後ろが山手線で、向こうが明治神宮」。

 その頃に6歳上の新人俳優・高倉健と共演。恋に発展。健さん、チエミ御殿でプロポーズ。昭和34年に帝国ホテルで挙式。瀬田の新居完成までチエミ御殿2階暮し。瀬田の新婚生活は、両者共に芸能活動が忙しい。健さんはヤクザ路線、チエミはトップ人気独走。千駄ヶ谷で暮す父が、多紀子さんと再婚。

 昭和37年、亡き母・歳子の異父子A子が現る。結婚10年目に瀬田の健・チエミ邸が火災。健さん、役作りに家を長期留守にするなど、少しづつ二人の間に溝。そんな某日、チエミの貯金通帳残高ゼロ。A子が全財産を遣い込み、千駄ヶ谷邸も抵当。数億円の借財。(林真理子『テネシーワルツ』はA子の歪んだ羨望憎悪を書いているとか)。A子、横領罪で3年の刑。

 チエミは健さんに迷惑が及ばぬよう離婚。がむしゃらに働いて、千駄ヶ谷邸抵当はじめ借財全返済。昭和53年頃、父と多紀子の子・益己が高校生時代にエレキ熱中。近所に住む加藤登紀子が「(音は)遠慮しなくていいわよ」と言ったとか。

 そして昭和57年(1982)2月、チエミは高輪ヒルズの自宅で脳出血~吐出物で窒息死。45歳だった。今〝チエミ御殿〟跡はマンションが建っているらしい。彼女の『さのさ』『木遣くずし』『奴さん』を聞くと、柳家三亀松の粋、浅草、江戸の風情が浮かんでくる。チエミさんには、瀬田や高輪ヒルズや千駄ヶ谷よりも。下町がお似合いだったような気もする。

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