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村上春樹と田中康夫(54) [千駄ヶ谷物語]

kazenouta.jpg_1.jpg 小生、村上春樹にも興味なく未読。図書館で彼の著作を立ち読みし、田中康夫『なんとなくクリスタル』と『33年後のクリスタル』を借りた。

 立ち読みで定かではないが、村上春樹の幾編かに〝ターンテーブルの~〟の書き出しがあって、田中康夫を読めば「目覚めたばかりだから〝ターンテーブル〟を載せるのも、なんとなく億劫な気がして~」の書き出し。両者デビュー作は1年違い。当時は〝ターンテーブル〟が流行っていたらしい。

 村上春樹は、昭和24年(1949)京都伏見生まれ。やや遅いジャズ世代で、早大在学中に国分寺でジャズ喫茶「ピーター・キャット」開店。卒業後に同店を千駄ヶ谷へ移転。昭和54年(1979)に明治神宮球場の野球観戦後に小説が書きたくなって『風の歌を聴け』でデビュー。

 田中康夫は、昭和31年(1956)生まれ。8歳から高卒まで長野県暮し。駿台予備校で1浪後に一橋大へ。キャンパスは東京近郊。雑誌「ポパイ」紹介のブランド、ファッション信奉ゆえに憧れは原宿・青山。所属サークル「一橋マーキュリー」資金で神宮前のマンションを借りた事件で留年停学。その時に書いたのが『なんとなくクリスタル』。

 小説主人公・由利は昭和34年(1959)生まれ。帰国子女で中2から高卒まで神戸。大学(青山学院らしい)入学当初は赤堤のコーポラスで、深沢の自宅暮しの淳一と出会って、神宮前4丁目(例の事件の表参道裏側)のマンションで同棲中。

nantonaku.jpg_1.jpg 彼女の愛読書は「J・J」。モデル収入あり。淳一は大学5年生でフュージョン系バンドのキーボード。目下は3rdアルバムの地方キャンぺーン中。由利の所属モデル事務所は「鳩森八幡神社」近くの、デザイン事務所やプロダクションなどが雑居するマンション。(田中は「一橋マーキュリー」表紙デザインを受け取りに同マンションへ行った際に小説モデル・由利に逢ったらしい)

 由利は昨晩、江美子と「ポパイ少年、J・Jガール」が集う六本木のディスコで遊んだ。江美子は「東郷女子学生会館」(明治通り沿いの現・セコム本社)暮し。共立女子大らしき2年生で、昨夜はディスコで逢った大学生とラブ・アフェアー(肉体関係)。由利は翌日になってから、昨夜の立教大2年生と六本木デート。結局、六本木7丁目のマンション風ラブホテルでセックス。下手ではないが、幾度も高圧電流が流れる淳一のセックスの方がいいと再認識。

 淳一、帰京。やはり淳一とのセックスがいい。淳一が浮気を語る弁で「一口坂にあるスタジオで、あるポップス歌手のレコーディングに参加して~」。で、思わず笑った。あたしは、その目ン玉マークのスタジオの音楽会社の仕事をずっとしてきた。田中康夫は目ン玉マークのテレビ局と石油会社の内定をもらったとか。

 同小説を読むと「ポパイ少年とJ・Jガール」のお気に入りが原宿・青山で、千駄ヶ谷は〝裏・原宿青山〟的な位置づけ。表に関連する事務所や関係者が多く住む地域となっている。同小説巻末の〝注〟に「千駄ヶ谷:渋谷区北東部にある地名。囲われた女性の住み率が高いことは、意外な事実」と記していた。

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