SSブログ

ネイティブ僅少「ネオ東京人」の街(55) [千駄ヶ谷物語]

 「ワシントンハイツ」内で新聞配達をし、後に時代小説家になった山本一力は高知出身。「千駄ヶ谷」でジャズ喫茶「ピーター・キャット」経営で『風の歌を聴け』を書いた村上春樹は京都伏見出身。「ポパイ」青少年の〝性〟を描いた『なんとなくクリスタル』の田中康夫は高校卒業まで長野県育ち。原宿・青山に憧れた。

 「あぁ、東京ネイティブがいない」と再認識した。今はテレビを観ても出演者の多くが、特に芸人(お笑い、歌手、俳優)のほとんどが地方出身のような気がする。かつて池波正太郎がテレビ〝鬼平〟キャスティングに、江戸弁(東京弁)が喋れる俳優で固めたそうだが今では無理なのだろう。(標準語=東京弁と思っている方が多い)

 伊豆大島の老人らが憩う湯に浸かっていたら「テレビはもう観ないよ。東京の人が出ていないもん」と呟くのを聞いたことがある。離島や地方町村は人口流出入が僅少ゆえにネイティブが多い。結果的に高齢少子化で〝限界町村〟へ向いつつある。

 小生の小・中学校は1クラス50名余で1学年10組ほど。溢れるほどいた同級生らは、どこへ消えちまったやら。団塊世代の何割かは近郊住宅地へ引っ越した。小生の姉・弟も浦安在住。逆に昭和30~50年代の経済成長期には集団就職列車あり。豊かになれば若者らはこぞって東京の大学を目指し、そのまま東京で生活のケースも多い。

 さて、Webサイト「東洋経済」にソニー・ミュージックエンタテインメント創立者・丸山茂雄氏のインタビューが目に入った。氏が「東京生まれの人でスタイリストを職業にしている人はいない、が俺の昔からの持論。いささか野暮ったい人たち、かっこうよくなりたい人たちが目指すような職業なんじゃないかな」。

 これはまぁ、ファッション関係全般に言えそうで、ファッション系専門学校入学者の多くが地方出身らしい。試みに某デパートの「日本が誇る十人のスタイリスト~」の企画にアップされた男性スタイリスト10名を調べたら、全員が地方出身だった。女性スタイリストには、出身地を記さぬ方が多い。

 レコード会社のことは少しだけ知っているので記す。テイチク元社長・飯田久彦氏に取材すれば「あたしの父は白木屋の呉服部出身で~」。〝あたし〟と言った。すこしシャイな東京人。目ン玉マーク・レコード会社社長時代の羽佐間重彰氏に同社PRペーパーの毎新年号に中島みゆきと対談していただいたが、氏はベランメェ調の東京っ子。音楽事業者は東京人が多いらしい。

 そこで千駄ヶ谷です。かつて軍人・侯爵・政界人の邸宅が多かった同地は、空襲で彼らが去り、復興期に〝連れ込み旅館〟事業者が流入。そして「ポパイ」「J・J」などによるブランド、ファッションブームで原宿・青山に脚光を浴びれば、千駄ヶ谷はその関係者が住まう「裏・原宿青山」的地域特性を帯びてきたような気がする。そして前述通りファッション系に憧れるのは地方出身の方が多く〝千駄ヶ谷ネィティブ〟は寺院関係者はじめ僅少かなと推測する。

 時代は、さらに進んでいる。わかりやすく地方出身芸人の東京移住者を例にしよう。彼らの子らは当然のこと東京生まれ。〝新・東京人=二世タレント 〟として世に出てきた。東京移住者の子供らを「ネオ東京人」と仮称しよう。東京ネイティブには違和感ある在京TVキー局ワイドショーの「ミヤネ屋」(関西制作)、「ゴゴスマ」(名古屋制作)も「ネオ東京人」には違和感なく成立する状況。新たな時代になっているなぁと思う。そこで懸念するのは「ネオ東京人」の根に〝江戸〟意識が薄かろうということ。(以上、データなし推測で記した)

 ええっ、小生在住の大久保? 「ネオ東京人」どころか「東南アジアの街」に見事に化して過疎、シャッター通りとは無縁。歩けぬほどに混雑繁華な商店街になっている。そこに満ちるは韓国語、中国語。他の東南アジア系言葉も多い。彼らのしゃべる声の大きなことよ。「あぁ、日本語の国へ行きたぁ~い」と思う日々であります。

 いや、今の原宿・竹下通りはもっと凄い。海外と地方観光客ばかりで、東京生まれの人はいそうもない。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。