SSブログ

多価値の狭間で~(56) [千駄ヶ谷物語]

sindo_1.jpg 千駄ヶ谷は明治神宮内苑と外苑の狭間の街。内苑には貴重な自然〝神宮の森〟が育まれ、外苑の公園やスポーツ施設もうれしい。だが国立競技場を除く内苑・外苑は「宗教法人・明治神宮」所轄らしい。

 去る5月19日、「明治神宮・仮殿遷座祭」が報じられた。これは2020年の鎮座100年に向けた改修工事に先立つ遷座儀式。新聞では「ご神体が~」だけの記述、また明確に「明治天皇と昭憲皇太后の御神体が~」と各紙記述が違っていた。

 かつては学校、役所、さらに各家庭に御真影が奉られたゆえ、明治天皇崩御での盛り上がりは理解できるも、昭和~平成生まれの人々にとって「ご神体=御真影」への意識は薄かろう。反・民主主義の「大日本帝国憲法」の暗く重い歴史もある。

 特定の宗教団体や政党に属さぬ小生だが、集合住宅〈マンション〉在住ゆえに在住者は多彩。選挙になれば「創価学会員」から「公明党」投票を請われる。商店街役員からは「自民党」への投票を請われる。近くの団地では、公明党と共産党の熾烈な戦いが展開する。

jinjyahoncyo_1.jpg 外苑の北側、信濃町は「創価学会の街」と化している。北参道際には「神社本庁」(写真左)がある。すなわち「日本会議」で、現内閣との繋がりは濃密。首相と「日本会議」の共通惹句は「美しい日本」。首相夫人も幼稚園児の「教育勅語」暗唱に感動して名誉校長になったとか。国家神道復帰を目指すのか。目下は一強独裁気味で、どんな法律でも強行採決。薄気味悪いことよ。さらに「神社本庁」から徒歩数分の明治通り沿いに「共産党本部」(写真下)。千駄ヶ谷に立って、周囲を見わたせばかくの如し。頭がクラクラしてしまう。

 山口輝臣著『明治神宮の出現』に加え、村上重良著『国家神道』、笠原英彦著『明治天皇』を改めて読み直し、小生流(長屋の熊さん的)解釈で考え直してみたい。

 江戸っ子庶民・熊さんの〝お上〟と云えば、265年の永きに亘て徳川様だった。「京都ってぇ西の方に〝天皇様〟がいらっしゃるなんざぁ知らなかったなぁ」。ハっつぁん「だが、神社にはお詣りするぜ。氏神様だから。森羅万象、八百万神(やおよろずのかみ)、神仏習合もある」。

kyousanto_1.jpg 幕末になると ♪宮さん宮さんお馬の前に~ あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ、知らないか~ の歌が聞こえてきた。熊さん・ハっつぁん「知らねぇなぁ~」。歌はさら続く。♪薩長土肥の連隊が音に聞こし関東武士どっちへ逃げた~

 魚河岸の鯔背な連中は「奴らに日本橋を渡らせちゃならねぇ」てんで身構えた。侠客・新門辰五郎も手下を集結させた。だが〝無血開城〟。天皇が江戸城に入って、東京市中に祝い酒が振るまわれ「五箇条の御誓文」。まぁ、大筋は民主主義だ。熊さん、何だかよく分からないが〝人間誰もが平等〟になったと喜んだ。

 明治元年。神仏分離令と廃仏稀釈。ハっつぁん「お寺さんが威張り過ぎていたから、まぁいいかぁ」。貧しき農村青年らが官軍へ。西南戦争で多数戦死。だが為政者らは私腹を肥やし放蕩三昧。平民出身兵らは〝なんだか変だなぁ〟。待遇改善で立ち上れば53名銃殺「竹下事件」。すかさず「軍人勅語」から「大日本帝国憲法」へ。熊さん・八っつぁん共に「あれっ、人間平等ってぇのはウソ」だと気付き出した。長くなったので、ここで区切る。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。