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明治の帝と平和憲法と~(57) [千駄ヶ谷物語]

 前回の続き。「竹下事件」の直後、明治15年に「軍人勅語」。続いて「教育勅語」から「大日本帝国憲法」へ。熊さん「まぁ、あっという間に絶対君主制、天皇は現人神。長屋の俺んちにも御真影が飾られた」。ハっつぁん「学校の奉納殿って知ってっか。御真影と教育勅語が奉納だ。〝国家神道〟の凄まじき浸透~」

 明治27年に日清戦争。明治37年に日露戦争。ロシアを破って世界の列強入り。熊・ハっつぁん「みんなで提灯行列に行ったなぁ。日本中が有頂天で、それまで培ってきた〝心〟を失った」。国を挙げて「富国強兵」。お上に逆らえば〝大逆罪〟で即死刑。熊さん「ちょっと難し気な本を読む、仲間と集えば、すぐに引っ張られる怖ぇ~時代になった」

 明治45年、明治天皇崩御で「明治神宮内苑・外苑」誕生。徳富蘇峰が「京都中心の皇室主義が、明治神宮誕生で〝東京遷都〟が完成~と言ったとか。「表参道ヒルズ」隣接「神宮前小学校」(オフィシャルHP)掲載校歌は~ ♪めいじのみかど とこしえに しずまりせまる おおみやの もりのみどりの したたりうけし まなびやよ~

 〝明治の帝〟時代に国家神道浸透。そして〝昭和の帝〟時代に太平洋戦争突入。熊さん・ハっつぁんの父や兄が戦地で滅茶苦茶な命令で次々に命を落としていった。そして大空襲と原爆。終戦と同時にGHQ命令で各学校の「奉安殿」取り壊し。「政教分離」で国立競技場を除いた明治神宮内苑・外苑が「宗教法人・明治神宮」所轄へ。昭和22年5月、日本国憲法(平和憲法)施行。

 明治通り沿い「千駄ヶ谷小学校」は、昭和13年に〝教育勅語〟讃美の校歌制定も、平和憲法で新校歌誕生。今は政治色考慮でか同校オフィシャルHPに校歌掲載はないが、卒業生らがネット公開しているのを参考にすると~

 ♪世界の国に先駆けて、戦争棄てた憲法の こころ忘れずとりもって 平和の日本の民となる 民主日本の民ごころ 平和日本の民ごころ~ らしい。

 もう一度記す。外苑北側は「創価学会」の街と化した信濃町。こぞって与党追従だ。北参道に「神社本庁」(日本会議)、その代々木側に「共産党本部」。それらに囲まれているのが千駄ヶ谷。熊さん「なんだかスッキリしねぇな」。ハっつぁん「それらを呑み込んで生きてきたのが日本かな」。熊さん「そう云えばちょっと哲学的だが、今はそのバランスが崩れ、刺々しくなって呑み込めなくなってきた」。ハっつぁん「世界中で独裁者が増えてきて、なんだが日本もそんな気配じゃねぇか。強行採決でやりたい放題」

 千駄ヶ谷を歩いていると、やっぱり考え込んでしまう。スッキリせぬが「千駄ヶ谷シリーズ」をそろそろ終わりにしたい。

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