1)〝原儒と孝〟から始まった。 [朱子学・儒教系]
まずは「儒教=倫理道徳=封建的思想」なる観点ではなく「その本質は死と深く結びついた宗教性」を指摘すべく書かれた加地伸行著『儒教とは何か』を読んでみる。
著者は、孔子による儒教以前を「原儒」と名付けて説明。原儒は太古から続くシャマニズム(神や霊と人との交流儀礼を行う呪術、宗教形態=招魂再生)を基礎に、そこに「孝」の概念を嵌め込んで「家族論」、その上に「政治論」までを体系的に構築したと記す。(白川静著『孔子伝』では「仁」を持って統一したと記されている)
加地著では、儒教の核は「孝」。子の親に対する愛情=孝は<祖先~祖父母~父母~自己~子~孫>の繰り返しで「孝=生命論」になる。自分の身体は先祖~明日へ続く生命。最も親しいのが親ゆえ、キリスト教の「博愛」とも違う。
(面白いのは〝孝=続く生命〟ゆえ、男子を産むためには妻以外の女性=側室OK。徳川家康の側室20人余とか。貝原益軒も1年に1人、3年で3人の側室とセッセと励んだが子は出来ず。このシリーズはかく脱線するいい加減なお勉強です。悪しからず。)
そして親の葬礼(礼)に心をこめる。その「礼」が社会規範になって政治理論に至る。また孔子は文献学者でもあって、整理した「詩」「書」「礼」「楽」などが儒教教科書になる。「詩」「書」は心を読む解釈学へ。「礼」は敬・慎み・和・譲・倹の在り方を説く。
孔子による儒教は、紀元前2世紀(前200~前100)に国家公認学問になり、隋代(587年~)から続く「科挙制度」の教科書になる。「科拳」はなんと!1905年(明治38年)に至るまで1300年間も続き、儒教的教養を身に付けた文官(科拳出身者=官僚)が国の指導層になる。(日本の鎌倉時代では武官が儒教的教養を身に付けることで「孝」より「忠」が重視傾向になる)
原儒が、かく儒教になり、そして新しい儒教・朱子学へなるも、この先は後述。なお著者は冒頭で「日本の葬式は儒教が混在」と指摘。仏教に於いて死者の肉体は単なる物体。僧侶は故人が成仏すべく本尊に読経をするのが本道。だが日本の葬式は本尊には知らん顔で遺影を仰ぎ、柩に礼拝し、焼香し、家族が出棺し、遺体を地中に葬り墓を作る。仏壇も位牌さえ儒教式。さらに「清め塩」は日本古来の死生観、神道だと指摘していた。
著者は最後に「儒教の宗教性、家族の礼教性は、現代人の心の深層の中に生きている」と記していた。
2018-12-16 09:51
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