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2)白川静『孔子伝』の〝仁〟 [朱子学・儒教系]

kousizo1_1.jpg 加地伸行著『儒教とは何か』に記された「儒教以前の〝原儒〟」については、白川静著『孔子伝』の〝儒の源流〟が別視点(こっちが定評)で説明されている。簡単にまとめてみる。

 孔子の母はおそらく巫女。野合で孔子が産まれたとか。巫女の庶生子。巫祝社会に成長し、聖職者らが伝える古伝承の実修を通じ、伝承の世界を追体験。その意味を再解釈し、それを意義づけようとした。(詳しい経歴は後述する)

 孔子の儒の源流は「神と人との関係」から生まれた巫史(ふし)の学。儒教は、それら伝承のもつ多様な意識の諸形態を吸収しつつ、民族の精神的な営みの古代的集成として成立された。よって儒家の経典には喪礼や祀礼に関する記載が多い。

 「儒」は雨請いをする男巫で、儒家はもと「仁」と自称していた。『論語』のなか58章に及んで「仁」が論じられ、「仁は人なり」で「仁=最高の徳」。(それ程の〝仁〟だが、小生20代の頃の東映任(仁)侠映画で〝仁〟は大流行り。松竹映画でも寅さんが仁義をきっていた)

 また儒が喪礼の関係者から出ていることで「礼記」49編のうち、その半分余は喪葬に関する古文献の解釈。他の諸編も喪葬ら祀礼に関する記述が多い。つまり〝あらゆる祀礼〟の礼を守ることで社会を安定化し、「礼」の本質「仁」をもって、徳性を高めると説明されていた。

IMG_1748_1.JPG また加地著でも白川著を引用。「~孔子の生きた時代には、古くから巫祝(ふしゅく=シャマン)がいた。もともと〝儒=巫祝〟の意で、呪的儀礼や喪葬などに従う下層の人たち。大儒と小儒の階層があって、孔子の言う〝君子の儒〟は古典学を修めた知識層。その層にも内祭(宗教儀礼)担当と外祭(政治的儀礼)担当の二系統があり、やがて宗教と政治の分離が起る。一方の小儒は祈祷や喪葬を担当。孔子は白川説のように礼制に詳しい有数の知識人だった」

 かくして孔子による「儒教」は、中国における古代的な意識形態のすべてを含む「仁」を核に成立され、中国2千数百年にわたる伝統として確立された普遍的思想になった、と説明されていた。(写真上は昭和50年に湯島聖堂に建立された世界最大の孔子銅像)

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