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3)蜆売り新太の「論語」読み? [朱子学・儒教系]

IMG_1682_1.JPG ちょっと小難しい書を読んだので、女房の時代小説を持って風呂に入った。宇江佐真理『雪まろげ』。冒頭編「落ち葉踏み締める」で、蜆売りの14歳・新太の説明で、こう記されていた。

 ~新太は勉強が好きな子供だった。「論語」だって澱みなく言えたし、暗算も得意だったが、病に倒れた父親が死ぬと、新太は手習所へ通うことができなくなった~

 おや、手習所(上方では寺子屋)で『論語』素読までやっていたのかしら?と首をひねった。新太の父は押上村の農家生まれ。魚屋奉公から〝剥き身売り〟になった。その子が通う手習所が『論語』素読までさせていたのだろうか。

 「江戸時代は武士に限らず誰もが『論語』を学んでいた」なる記述は多いが、何も考えずに鵜呑みすると〝チコちゃんに叱られる〟。前田勉著『江戸の読書会』を読むと、朱子学で習う順は『大学』(1851字)から『論語』(総字数13700字で字種は約1529字)~『孟子』(34685字)~『中庸』(3568字)へ。素読が済んだら「講釈」。そして「会読」(討議)へ進むとあった。

 だが、この学習法は武士の子らが通う私塾や藩校で、庶民教育の手習所では、儒教のテキスト素読を行うことがあったとしても、主なテキストは『商売往来』『百姓往来』などの〝往来物〟であった、と記されていた。(早大古典籍総合データベースの「往来物」で多数冊が閲覧できる)

 また加地伸行著にも「朱子が編んだ『小学』は子供のための簡約版だが、庶民には程度が高く、村塾へ通う庶民の子供は、定型的な教訓を三字一句に盛り込んだ『三字経』など通俗教科書を読んだであろう、と記していた。やはり<蜆売りの新太が『論語』を澱みなく言えた>には無理がある。なお物語の新太は母から末弟・捨

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