SSブログ

5)『論語』のさわり~ [朱子学・儒教系]

rongokaisyo_1.jpgrongokuzusi_1.jpg 小生、子供時分も良い子ではなく、学校で「漢文」を習ったことも覚えていない。青年期からの読書も翻訳本中心。而して隠居後に〝古典〟を読み始める体たらく。国会図書館デジタルコレクションの、天文2年(1533)刊『論語』冒頭「論語学而第一 何晏集約」の最初頁を筆写。不勉強爺さんがスラスラと読めるワケもなく吉川幸次郎と貝塚茂樹の『論語』を参考にしつつ読んでみた。

 子曰 學而時習之 不亦説乎 有朋自遠方来 不亦楽乎 人不知而不愠 不亦君子乎

 子(孔子)曰く、学び而(て)時(時々ではなく、折々に)之(『詩経』や『書経』とか)を習う。亦た説(悦)ばしからず乎(不~乎=なんと~ことではないか=悦ばしいことではないか)、朋有り遠方自(より)来たる、亦た楽しからず乎(や)、人知らず而(して)愠(いか)らず(自分の勉強が人に知られなくても怒らず)、亦た君子ならず乎(それも君子ではないか)。

 吉川解説では「之」は読まずにリズム充足の助字。「亦」も軽い助字。相手に同意を導き出すとあり。貝塚著では〝当時の習う〟は未だ書物はなく、木や竹の札に記した時代ゆえ〝口伝〟の学問。ここでは礼儀作法の自習のこと。「時」は助字で「これ、ここに」の意。また「君子」は学者、人格者、求道者と説明されていた。

 有子曰 其為人也孝弟 而好犯上者鮮矣 不好犯上 而好作乱者 未之有也 君子務本、本立而道生 孝弟也者 其為仁之本與

 有子(孔子より43歳下の弟子)曰く、其の人と為りや孝弟(親に孝行、年長者によく従う)にして、而(しか)も上を犯す(目上に抵抗)を好む者は鮮(すくな)し矣(乎=捨て字で読まず。断定・詠嘆の助字の場合は語勢を強める)、上を犯すことを好まず、而(しか)も乱を作(な)す(争いを起こす)を好む者は、未まだ之を有らざる也。君子は本(もと)を務む。本(もと)立ちで道(仁)生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本(もと)為(な)る與(与=か。断定を躊躇する助字)。

 それにしても『論語』の代表的読み手の貝塚、吉川両氏の解釈違いの多いこと。それが『論語』でもあるのだろう。永井荷風も夏目漱石も儒教とは関係なく、子供時分にこうして勉強して漢文、漢詩に親しんで行ったか。

 小生の息子は日本語がどの程度かは知らんが、英会話は出来る。あたしは日本語も満足ではなく、外国語はまったく出来ない。子供時分は「ひ=し」の〝江戸弁〟はまぁ普通で、目下は「くずし字」を勉強中。『論語』は楷書よりくずし字の方が書き易く、書いていて楽しかった。

 お正月は『論語』読みで過ごしましょうか、と思ったが、読めば読むほど小生には無縁と思ってしまった。孔子の言と反対が小生で、そこを記せば「父母の意見・希望に逆らい自分勝手の人生を歩み出し、社会に入れば群れから離れたがり、上司うざったくフリーランサーになり、スタッフ抱えれば、その無能さに怒り、馴れ寄る若者もうざったくワンマンのワーカホリックで、為政者や役人への怒りも胸に~」。〝あぁ、論語は読めねぇ〟と思ってしまった。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。