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6)儒教から朱子学へ [朱子学・儒教系]

syuki3_1.jpg 儒教が生まれて中国は三教(道教、仏教、儒教)の時代へ。道教=自己努力による不老長生。仏教=因果や運命に基づく輪廻転生。儒教=先祖祭祀による現世への招魂再生。

 儒教は、やがて新解釈の朱子学を生む。この辺をわかり易く書いた土田健次郎著『江戸の朱子学』を参考に、自分流解釈でまとめてみる。

 孔子没は紀元前479年。未だ書物のない時代で、日本は弥生時代。(井上靖『孔子』は、孔子と弟子らの放浪生活が思い出の形で描かれている)。孔子の弟子らによって『論語』本文がまとめられたのは約700年後の後漢末期(~220)。その約900年後の1130年に朱子(朱熹)が生まれた。『方丈記』の鴨長明が生まれる25年前のこと。

 朱熹は9歳で『孟子』読破。19歳で「科挙」合格(中国の「科挙」制度は隋代〝587年~〟から1905年まで1300年間も続いた)。朱熹は「科挙」合格も、出仕せずに家居で儒学を深めた。

 朱熹の先輩哲学者に程兄弟がいた。兄・明道は自由闊達、春風和気。弟の伊川は謹厳・秋霜烈日。兄の系譜上に「陸象山」が登場して、弟の謹厳さを朱熹が受け継いだ。(ゆえに朱熹の『論語』新注は人間味のないつまらん解釈らしい)。四書(論語・中庸・孟子・大学)、五経(易・書・詩・春秋・礼記)などを新解釈。かつ儒教に欠けていた宇宙観、物質観を組立てた。それによって「原儒=死の不安」~「儒教=生命論、家族論」~「朱子=政治論、宇宙論、形而上学(存在論)」へ発展した。

edosyusi_1.jpg その核が「気と理」の二元論。~この世は「気」で出来ている。「気=けはい」はエネルギーを帯びて、陰(静態的)と陽(能動的)があり、五行(木、火、土、金、水)の側面も有す。五行が混合して万物になる。

 陰陽のモデルを男女とすれば、陰陽の関係で子が生まれる。つまり陰陽は「関係・感応の運動(例えば心の動き)」で、この世は「感応する世界」。その感応には法則・秩序があって、それが「理」だと説明。感応が「理」にのっとった状態で心が動けば「道徳」になる。まともに動けば「善」で、歪めば「悪」になる。「気」の歪みは学問や修養で修正する。(この朱熹論を読んでみたいが、それはどこに書かれているのだろう?)

 朱熹没は1200年。中断されていた「科挙」が再開された時に、朱子注の「四書」「五経」が科目になって、朱子学が権威になった。(だが朱子論では、気が散じて死ぬも、散った気の行方が不明で、儒教で肝心の「祖先の祭祀」の説明が不十分になる。この辺は島田虔次著『朱子学と陽明学』に詳しい)

 朱子学の「気」の説明を読んでいると、若い時分に読んだフッサール『現象学』を思い出した。この辺でそろそろ日本に舞台を移したい。

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