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7)美女を見る孔子と朱熹の違い [朱子学・儒教系]

nyugokubijyo1_1.jpg 小生『論語』を読み始めているが、早くも「第二・為政篇」。『論語』は端から為政者の思想(儒教=徳治主義)で、被支配層=大衆庶民・小生は俄かに興味を失った。(孔子の当初弟子は約70名。孔子と同じ士階級中心で官僚を目指す者が多かった)。

 また吉川幸次郎、貝塚茂樹の両解釈を読むと、両人ともに〝朱熹(朱子学)嫌い〟らしく感じた。その辺を庶民・熊さん的下世話さで「学而編」の「下夏曰 賢賢易色~」解釈を例に挙げてみる。

 貝塚訳注は「子夏曰く、賢を貴ぶこと色(おんな)の易(ごと)くせよ」。つまり、人は美人を好むと同じように賢人を尊敬しようの意。当時の「賢を尊ぶこと、色(美女)への想いの如く」の格言からで、孔子は美女のみではなく、すべての美を愛する欲望が文化の根源、と考えての言葉だろうと指摘。比して朱熹は「賢者と美女を並べるとは何事だ」と反発。謹厳な朱熹は、孔子の真意を誤解していると記していた。

 吉川幸次郎解釈でも、古注は「賢人を賢人として尊敬すること、美女を尊敬する如くなれ」で、次の六朝時代の解釈は「賢者に遭遇した場合は、賢者を尊重してハッと顔色を易(か)えるほどであれ」と解釈。わが仁斎の「論語古義」、萩生徂徠「論語徴」共にそれを祖述。だが朱熹「新注」では「賢を賢として色を易(かろ)んぜよ。賢人を尊重せよ。美人は軽蔑せよ」になっている。

rongohon1_1.jpg 「私の学力では、どれがよいとも定めかねるが、元来の儒教には欲望を否定する思想は少なく、従って女色は否定されていないから、しばらく〝賢を賢とすること色よき美人のごとかれ〟という古注に従っておくと記し、加えて「子罕篇第九」の以下の言葉もあると指摘。それは~

 「子曰 吾未見好徳如色者也」。子曰く、吾れ未だ徳を好むこと、色を好むが如くする者を見ざる也。つまり美人を愛するほどの強烈さで、道徳を愛する人間に、私はまだ出会ったことがない。相当に思い切った言葉を発している。これは孔子57歳の時に、衛の霊公の淫蕩な美しい夫人・南子に謁見した際の言葉。孔子の人間臭さに思わず微笑みたくなるも、朱熹は「とんでもない」と言っているらしい。

 貝塚もほぼ同解釈で、美人と有徳者を対照とするのは、ふつうの道徳家には考えようもないことだが、孔子は音楽、書、詩、礼~すべての美に対して敏感だった。それが孔子の調和の世界観だったのだろうと記していた。

 その問題の〝色〟=淫蕩な美しい夫人・南子は「第六・雍也篇」にも登場する。さて、人間味豊かな孔子(儒教)と謹厳な朱熹(朱子学)のどっちが好きでしょうか。やはり儒教は孔子で留めておくのがよろしいようにも思うのですが~。

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