SSブログ

13)儒者風刺の古川柳 [朱子学・儒教系]

jyusyasenryu_1.jpg ここでまた脱線です。中国では「科拳」合格で即官僚も、江戸・寛政期の「学問吟味」では小普請の徒歩組、大田南畝がトップ合格でも2年後にやっと支配勘定へ昇進で30俵が加増されただけ。儒学(朱子学)を学んでも幕府官僚や各藩儒者になれるのは稀で、多くは貧乏学者のまま。せいぜいが手習所(寺子屋)で食って行く他はなかった。

 渡辺信一郎著『江戸の寺子屋と子供たち』に、そんな儒者らを微笑ましく笑った古川柳が紹介されていた。そこから幾つかを紹介です。

 「頭神(し)ン喉仏(ぶ)ツ胸に儒が住居」 これは(6)冒頭で中国では三教「儒教=先祖祭祀による現世への招魂再生。道教=自己努力による不老長生。仏教=因果や運命に基づく輪廻転生」混在と記したが、江戸庶民は「頭は神、喉に仏教、胸に儒教」混在と、見事に川柳にまとめている。

 儒者の真面目、杓子定規を笑ったのが「墨までも儒者は曲がらぬやうに摺り」。「子供にも草履隠しを儒者させず」。「儒者だけに欠かぬは義理と犢鼻褌」(犢鼻褌=とくびこん=ふんどし。儒者はふんどしも漢文調)。儒者の博識自慢を笑って「虎の鳴き声を聞かれて儒者困り」。

 昌平坂学問所がらみでは「昌平は唐名和名は芋洗い」(昌平橋の昔の名は〝芋=魔羅〟洗橋)。「三度目に昌平坂の下へ越し」(孟子の母の故事にかけて教育ママを笑う)。学問ばかりの貧乏暮しを笑って「借銭の余計にあるのに儒者困り」。「儒者を立てても古郷に借り」。「しこうして儒者店賃の日延べなり」(而して=漢文で)。「財を食む如しと儒者の初鰹」(初鰹の高値に漢文調で驚いている)。「而て後にと儒者の大晦日」(漢文調で年末の借金の言い訳)。「富は家を潤すものと儒者も買ひ」(言い訳しつつ儒者も冨札を買う)。「店賃で言いこめられる論語読み」(論語読みも店賃を溜めれば大家の言い分に負ける)。

 儒者の性を笑ったバレ川柳。「きっとした学者かならず女好き」(むっつり助平が多い)。「一陽が来復したと儒者おやし」(おやし=勃起。それを一陽来復と漢文調で)。「ラリルレロタチツテトには儒者困り」(ラ=マラ。魔羅がちょくちょく勃って困惑の儒者)。「論語読み思案の外の仮名を書き」(日々漢文だが、恋文だけは仮名で書く)等など~

 なお同書には「寺子屋以前の子供の実相」「寺子屋風俗」「詠の師匠と弟子」「三味線の師匠と弟子」「琴の師匠と弟子」などの項で多数古川柳が蒐集・解説されている。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。