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戸山荘⑭「称徳場」(馬場)へ [大久保・戸山ヶ原伝説]

baba_1.jpg (筆者・三上季寛は、ここから戻るように「称徳場」へ)野道をつたひて「御馬場」にいたり給ひ。そも此御かまへはなみなみならず。馬場の中に一はしの土手をまふけて、めぐりめぐりて乗べきためにや(や=~であろうか)とも覚ゆ。むま(馬)のあし冷さしめ給んためなりとて、石をもて畳みおろしたる所ありき。この頃のさまにはめなれぬもの也。馬場殿にはうんげん縁(繧繝縁=格の高い畳縁)のあけ(赤・朱)畳なんどもありて、御間数々のありて、きらきらしかりし御事とも也。(『和田戸山御成記』(11)

 <絵図は「尾張公戸山庭園」(上)と「尾候戸山苑図」(下)の「称徳場」。現・東戸山小学校前広場の西土手際に「称徳場跡」史柱が建っている。その辺りから学校を突き抜けて大久保通り際まで伸びていたのだろう。小寺著ではこう説明されていた。~馬を見る御亭syoutokujyo_1.jpg(馬見所)があり、うしろに馬の脚を冷やす堀が造られていた。『戸山御屋敷御取建以来伝聞記』には、かつては馬場周辺に蹄鉄をうつ鍛冶屋などの建物があり、見物席や広い楽屋などを具えて本格的な舞台も付近にあって「門前五軒茶屋」と称する長屋風の茶店も並んでいた。(次回はカニ川について)


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