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戸山荘⑯カニ川源流と排出 [大久保・戸山ヶ原伝説]

kanigawa1_1.jpg ここで「カニ川」のお勉強です。芳賀善次郎『新宿の散歩道』より~ コマ劇場を中心とした一帯は、大正のはじめまで元長崎の大村藩主・大村子爵の屋敷で「大村の山」と呼ばれ、うっそうとした森林で池もあり、そこが水源のカニ川になって西向神社下へ流れていた。明治20年頃の同池は閑静なカモ場だったが、明治30年代に一帯を尾張屋銀行の頭取・峰島喜代女(尾張屋5代目の女性実業家)が買い取り、森林を伐採し、淀橋上水場建設で掘った土で池を埋めて平坦地にした。(現在、コマ劇場跡に30階「新宿東宝ビル」が建ち、目下はミラノ座跡に40階ビル工事が始まろうとしている)

 カニ川の水源はもう一つ。新宿2丁目の太宗寺裏「新宿公園」の池は、元太宗寺庭園一部で、その池もカニ川(金川)の水源。以上の二つの流れが西向神社下で合流して戸山荘に流れ込んでいた。(小生の若い頃の記憶だが、同公園は薄暗い奥が窪んで池だったような。今は明るく平らな公園になっている)

hirayatoyama1_1.jpg ちなみに『江戸名所図会』『絵本江戸土産』の大窪天満宮(西向天神)を見ると、門前に小川と小さな池(水色で着色)が描かれている。それが北上して(絵では左へ流れて)戸山荘へ。全図の拡大図から判断すれば、カニ川が流れ込んでいたのは現・東戸山小学校と東戸山幼稚園との間辺りと推測される(写真上)。

 昭和45年(1970)の地図を見ると、当時の「東戸山小学校」は現在地より西側に建っていて、その西側が崖状(崖下の道は現存)。同校校歌~♪富士の高嶺を西空はるか「玉の泉」の湧き出るところ~は、その西側崖からの湧水で同校裏門辺りに50mほどの池になっていたそうで、「玉の泉」とはそれだろうと推測する。また湧水は学習院女子大内はじめに幾つもの湧水があって、それらも戸山荘の池へ流れ込んでいたらしい。さらに同地図の東側(地図右際)が土手状地形になっていて、ここにカニ川が流れ込んでいたと思われる。

nisimukikawa_2_1.jpg 戸山荘からの流出については『我が町の詩~下戸塚』(下戸塚研究家)を参考にする。~戸山荘を出たカニ川は、穴八幡角の八幡坂下(三朝庵辺り)に「駒留橋」があり。その下をカニ川が流れていた。葦や熊笹が密生し、大小の樹木が繁茂。野鳥も多く特に雉が多く棲息していた。

 また『戸山荘御邸見聞記』には~ 穴八幡坂下に正覚寺あり。先年の戸山御泉水水抜けの節、境内本堂の縁上まで水が満ちた。水が落ちた後、近辺の若者が墓所に入って鯉、鮒、うなぎなど夥しく捕えたと記されているそうな。またこの水没は20町(約2.2㎞)先の中里村まで及んだとかで、戸山荘の池泉量を物語る記録になっているとか。なお「正覚寺」は「江戸切絵図」を見ると穴八幡前、現・早大戸山正門辺りにあった。

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