戸山荘⑰招隠里を探す [大久保・戸山ヶ原伝説]
「招隠里」といへる世の常ならぬ御物数寄(ものずき)と覚しく、大樹生茂りたる枝払ふ事もなく、いつの世よりか苔も蒸し(苔は生える=むす)そへしにや。深みどりなめらかに、いやむしにむしそへて、いはんかたなく(言はむ方無く=言いようがなく)物すごきさまなり。「しづかなる庭のうちなるかくれ里 これも浮世のほかとおもへば」
是は尾州家二代の君(光友)の自詠自筆にて、たやすく出さえ給はぬ御事と申されしもむべなり(いやはやもっともである)。誠に木の葉も去年のまゝにて雪のをのづから(自然に)消しあとなどと覚しく。其儘に草もねじけ(拗け)木もねじけて枝もきらず。なべてみどりの色にうつりて、人々のかほまで青ミたるやうに覚へしも、又なきしづけさなるべし。御すまゐの閑寂たる事はたとふるものなし。ひとりなと行たらんには物すごくたへかたかるべきと思ひやられ侍りし。
扨、此山を出させ給ひ、左の方の沢には紫と白の杜若今を盛なりき。「大日堂人」「丸の堂」あり。この像はほのぼのとの画のさまをうついしたるかたちなり。過し年、狩野栄川法印(余慶堂で登場の狩野惟信の父・典信)此御庭を拝し奉りし時。御像を申ていはく、画の心に叶ひたりとていとふかく感じたるよし申伝しと承りき。『和田戸山御成記』(13)
<招隠里(隠里御茶屋)は、絵図から現在地を探せば23号棟西側辺り。坂を少し登った地ゆえ、勝手に写真の辺りだろうと推測した。この写真の背(反対)下側方向に「古驛楼跡」史柱有り。余談:その地を探して同地へ行けば、女の子がヘビを持ち、嫌がる小生に迫ってきた。新宿とは云え、古の隠れ里に今だヘビ棲息なり。戸山荘には関西のカエル、ホタルも持ち込まれたが、そのヘビの先祖も関西系か。
2019-05-26 07:47
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