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戸山荘⑱小田原宿を模した37軒の町並 [大久保・戸山ヶ原伝説]

koekiroup_1.jpg 抑(さて、それにしても)世に言伝へ侍る五十三駅(つぎ)を写し給ふなど申侍る其所におもむかせ給ふ。まづ左り右りの家居竝立(いへゐたちならび)てあやしの茅葺の屋に茶釜などいかにも鄙びたるさまにこしらへさせ、団子でんがくなどいふものを木にて造り、白々とぬりてならべ置けるさまもいと興ありき。弓師が見せには、白木ぬり木さし矢(差し矢)弓なんどまで二三十弦もかざりて、弓がための木などもかけ、小刀前がんな小かんな、大板には弦天鼠(くすね=接着剤)皮ことごとく握皮なんど切ちらし、隣の矢師は矧立(はぎたて)の矢多く錺り、矢柄竹ことごとし(弓道用語調べをどうぞ)。

matiyaup_1.jpg 本肆(ほんや)には、唐本和本誰か著述かれる石すか(石摺り?)新板色とり草紙袋へ入たるなんど棚に満、見せに錺りて夥し。薬種屋にはいろいろの薬種あらゆる数々取そろへ、袋の銘などやうありげに(わけありげに)唐めきて、御共のくすし(者?)共も胆をけし侍るほどにさへありてこしらへたり。

 合羽色々数を尽くし、桃灯(ちょうちん)はかたちもさまざまにかはり、思ひ思ひの紋をば書たり。茶売る家には茶壺を並べ竝(なら)べ、宇治の名所の数々さも風流なる手跡にて書たり。又下さま(下様)の茶には筆もまたいやしげにて荒々しく大きなる袋に入、かねて取散したるもおかし。

 金商ふ家には、天秤分銅などいへるものに大福帳、懸硯(手提金庫)などいふもの取そへ、銭は藤かづらやうのものにてさも誠しやかに造置たり。米屋にはさすが名におふ尾張俵を杉なり(三角状)に積たり。菓子見せには色々のもの共皆木にて造り、うましげにぞ見へし。医師か家迄造なせり。和田戸庵と宿札かけて、いづち(何所)へか出行けんさまして、薬箱に菖蒲草のおほひをかけ、碁将棋盤に茶臼をもそへて置たり。国助といふ鍛冶もあり。いろいろの打もの吹革(ふいご)ことごとしく炭取散らしていさぎよかりし。

 植木屋には腰懸などさわやかにつくり、家のうちを通りて奥の方へ行ば、いろいろの植木をうへ、石台(せきだい、植木鉢の一種)など花もいろいろ盛に葉をわきてつやつやし。「問屋」などいへる家は一きわ棟高く、見せは土間にして広く、四ツ手かごといふのりもの三ツ四ツ新に造りて置たり。

 其外数々思ひ思ひの秀作とも中々覚も尽くがたし。色々ののうれん(=のれん)紋所など家の名迄それぞれに似やわしくて、腹ふくるゝわざにぞ。炭屋薪屋酒屋せうゆ(醤油)味噌酢扇店、造花見勢(店)などわきてうるはし。生花いろいろ大桶小桶筒などそれぞれに多く入たり。御いへつとにとて一ツ二ツめされ給ひし(主君はすでに幾つかを召しあがったの意?)。小間物屋きせるこの外数も覚へねどいづれいづれおとらぬ事の多かり。『和田戸山御成記』(14)<ゆっくり読めば、なんとか解釈できそう。長いのでここで区切る>

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