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戸山荘⑳臥龍渓・養老泉・望野亭 [大久保・戸山ヶ原伝説]

garyukei_1.jpg <全図拡大で、宿場木戸を出た所の「石カケ嶋・臥龍渓」を確認して~> しばし行ほどに「石カケ島・臥龍渓」。ここには橋などのかたちに御床几やうのものをいくつもならべて広くまふけ、尾州にて造りしものとて、黄なる氈(もうせん)に色々の山水の画をえもいはれぬほどうつくしく織出したるを、広やかに敷わたされしも興ありて覚へし。

 <次も位置確認に絵図(西が下)を拡大。琥珀橋の左に「四ツ堂」。池沿い先に「傍花橋」。小池奥に尾張瀬戸焼の阿弥陀像安置の「阿弥陀堂」。奥に「奥の院」。四ッ堂の斜め左下に「養老泉」。奥に「薬師堂」。さらに左下に「望野亭」>

yorosyuhen_1.jpg 「三嶽権現薬師堂」「養老泉」。抑(そもそも、さて)此いづみと申は石にて作れる井なり。いかにも清き水の湧出て、さされ石のかくれぬほどにさらさらと音して流行も耳にとまりぬ。この茶屋には紅の氈を敷ひろげて、ゑにしだ(金雀枝。黄色の蝶形の花がいっぱい咲く)の花を籠にいれて、垂撥(すいばち=花器を掛けるべく板に切り目を入れた道具)にぞかけられたり。人々にもやすらへとにや(~であろうか)、小き棚におかしげなる茶わんひさぐ(拉ぐ=ひしゃげる)なんどまで取そへられしに、ものわびしげにも見へし。(現「養老泉跡」支柱の奥は、学習院女子大敷地内になります) 

 斜に向ふ「四ツ堂」といへるは、四間四方程もありて、いかにもゆへあるさまなり。柱はあけ(朱)にして、銅ものは緑靑をもてぬり、床はなく石畳にて、水引(四本柱上部に横に張る細長い幕)なんどいへるあたりは、皆彫物に手を盡し、真中にはもの釣べきたより(手段)と覚しくて、大きな環を打てたれにける。yorosen2_1.jpgyorosenato_1.jpg此御堂は何の為ならんやといふかしき見もの也。市買(いちがい=市ヶ谷)の御館の御庭にも四ツ堂とて、是にたがはぬ御堂ありと聞侍る。

 「傍花橋(ぼうかきょう)」のこなたより左りの寺に「阿弥陀堂」あり。奥の院と名づけしは、山のかたはらを少し平めたるに、ちいさき屋根計の堂に、尾陽瀬戸(尾張瀬戸焼)の造りし仏像古びわたりてさむさげにぞおはします。凍にやとちけん(?)、ひび多くありて、見事さ、殊勝さ、たちふべきにもあらず。四尺計も有なん座像にてぞ有し。

jyusuidou.jpg 爰にてまずおほよその御けしきはのこりなく見尽されたるならんかしと思ふにはや(ばや=~したいものだ)。大原の「望野亭」といへる殿にぞ入り給ふ。此大原と申は、広く平らかなるもたとふべき處なし。小松などしげからずに生て、はれやかに右の方の向ふに「拾翠台」(左図。御成御門脇にある)とて小高き所あり。面白げなる道を廻りて登りいたれば、日おふひの紅と白の布幕にてこしらへ、小き御ゆかをかまへ、遠眼鏡などかけられ、其かたはらは皆うすべり(薄縁=縁をとったゴザ)などいへる筵を広く敷て、青竹の節をもて鎗のやうにこしらへ、地にさし貫て風のふせきまでこまかなる御事なり。見渡されたる方は、名さへ高田の馬場隈なく見へて、ぞうしがや(雑司ヶ谷)鬼子母神など云あたりまちかく手もとゞきぬべきやはと覚ゆるもおかし。萩のかれえの垣ゆひ廻してさはやかなり。『和田戸山御成記』(15)

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