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戸山荘㉑望野亭で無礼講の宴 [大久保・戸山ヶ原伝説]

bouyateup_1.jpg 扨かの「望野亭」(ぼうやてい)の御殿には、御上段をかまへ餘慶につぎたる大との(殿)造りなりき。御床には喚鐘撞木(かんしょう:小さな釣鐘+しゅもく:それを叩く木の棒)をかけられ、寄合書の三十六歌仙の手鑑。筆はしるし(著名)なけれ共、ふるき筆の跡位も尊とげにて某人の名もしたはし。画は藍をもて艸々と書たるか。さもめづらかなる御物也。唐かねの菊の折枝の文鎮のさひしけなるをそ置き給ふ。

 数々の御殿につづきし御厨(みくりや=台所、御供所)をば、あらたに造そへられ、御井(みい=井戸)は大広床の最中にありて、かたへ(片方)には大いろり、青竹もて作れるおちゑん(落ち縁=雨戸外の座敷より一段低い縁側)なんどいさぎよし(景色などが清らかである)。御はめ(板張り)には御画師の何某打つけて気より畫(かくす)る。いかにも浮たつさまにそかゝせ置る。御手水入られしは南京とかや、いかにも大きなる瓶なり。水満ち満ちてきよき事のかぎり言葉もなし。人々めづらしき器也とて感じぬ。

kanzan_1.jpg 大納言殿(尾張公)より贈物にと檜重三組(重箱)、からはらに紙片木器なんぞ取そへて、たばこの火に茶のまふけまで残所なく出しおかれし。御前にて御供の人々に御酒など給はり、興すること限りなし。酔(よえ)る貌は夕日のかがやかされてまくよりあかし。

 たはふれののしれども聞とるべきこと人もちかずかす。心そらになして御前の事も覚へず顔になるまでゑゝる(出来ている)もあり。御酒たけぬものには御菓子をとり広めよとて、御庭に氈むしろなんとしどろ(乱れ)に敷わたし、をのをの腹ふくらかしていねむり出るもおかしき事になん。御供のおさの誰かれは、傍なる小座敷にて御酒肴とも数々給りける。皆せきふくれたりとて、かの広き芝の原を走競せばや(したならば)とて、酔るはころびころびてさまよへるなど、いと御気色よかりし。

 日のかたむくもしらで(不知で=知らずで)ありけるに、かねて期せさせ給ひし事ありて、鴈かしまし(喧し)うたせせよとあれば十匁の炮薬もいとつよふこめて、三放まで大井の何某つかふまつれが、御供の人々あつまり侍りける。

 御名残惜し、今一廻り給んとて出立勢給ひ。「乾山」に登らせたまふ。この御山は九折なり。老木の松の枝垂しをばひくくり、根などに取付登りみれば向うには「諏訪明神」の御林しんしん(森々)たる御よそほひなと、又たくひなき風景也。あたりの野原には秋のためにや萩薄など植置れし。をのがさまざま(己が様様=思い思いに)芽生出て、花咲秋をまた見まほしげ(見たいようす)にて、人々も行なやまり(悩めり=悩んでいるようにみえる)。『和田戸山御成記』(15)

 <絵図上「望野亭」は現・学習院女子大の敷地内。絵図下「乾山」は現・明治通りと諏訪通り角の区立西早稲田中学校辺り。富士山も描かれている。この記述を読んでいると「寛政の改革」から解放された御供らの、いかにも楽しそうな姿が浮かんできます。>

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