堀田善衛『方丈記私記』(1~3章私抄) [鶉衣・方丈記他]
小生1歳の記憶。夏子ちゃんちの縁の下から見上げた空襲の空が「あぁ、きれい」と飛び出した(姉は「あんたは埼玉疎開中で、そんな事はない」と云うが~)。堀田はそんな体験を語って『方丈記』安元3年「京都大火」紹介に入る。
~煙にむせびてたふれふし(倒れ伏し)、或は炎にまぐれてたちまちに死ぬ。(略)資財をとり出るに及ばず、七珍万宝さながら灰燼となりにき。(略)此たび、公卿の家十六焼たり。まして、其外はかずしらず。すべて都のうち三分の一に及べりとぞ。男女死ぬるも数千人、馬牛の類ひ辺際をしらづ。(小生筆写の明暦4年の『方丈記之抄』より)
これら記述には、鴨長明の「なんでも見てやろうという野次馬(弥次馬)根性による精確な観察(ルポルタージュ)と、社会部ジャーナリスト的な眼がある」と指摘。小生は永井荷風の「偏奇館」炎上などを記す姿勢にも共通したものを感じる。著者はその突き放した眼の裏側に〝思想の萌芽〟ありと嗅ぎつける。
次に引用テキストは日本古典文学大系版(西尾實校注)だと説明し、岩波文庫版(山田孝雄校訂)との違いを指摘。岩波文庫版では火元が「病人をやどせるかりや」で、西尾校注では「舞人を宿せる仮屋」になっていると記す。(巻末対談で五木寛之は~京都には東寺デラックスなる有名ストリップ劇場がある~などと言っている)。ちなみに小生の岩波文庫版は市古貞次校注で「舞人~」。小生筆写の山岡元隣『方丈記之抄』は「病人~」。
さらに3年後の「京都大旋風」の長明記述は〝諸行無常〟よりワクワクした期待感があると読む。それも「心より先に足が動き、足に聞け」のルポライター的好奇心。さらに岩波文庫版「資財かずをつくしてそらにあがり」だが、西尾校注は「空にあり」。そこにはユーモラスで奇妙な絵が浮かんでくると記す。
その感覚は、自身の東京大空襲直後の富岡八幡宮の体験に似ていると説明。焼け跡をひっくり返していた人々が、小豆色の自動車から降りてきた天皇に、土下座をして「陛下、私たちの努力が足りずに~」と謝っている。な・なんだ!それは逆ではないか。この逆転現象がまるでデカダンスの怪奇絵のよう。「空にあり」の奇妙さに通じると記す。それでいて人々の言動も真底のものと思う自身の心もあって、とても困惑したとも記す。
大火、大地震、飢餓、辻風、戦乱、遷都を突き放して観る長明の記述には「政治の責任・人々の優情」ありで「政治であって政治ではない厄介な日本の政治」が描かれている。それが日本人の思想の根源=骨がらみくい込まれている。そこをえぐり出す作業が必要だろうと指摘していた。
2019-09-02 07:04
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