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草間彌生美術館とソール・ライターと~ [スケッチ・美術系]

kusama2_1.jpg 新宿には「東京女子医大」創始者・吉岡彌生さんの他に、もうひとり著名な彌生さんがいた。過日、かかぁが送られた来た『新宿区くらしガイド』を見つつ「あらぁ、あの水玉模様の草間彌生は原町在住ですって~」と言った。

 原町のどの辺でしょうか。大久保通り「若松町」から南側辺りに女子医大病院~河田町ガーデンがあり、「若松町」の北側辺りが原町1~3丁目。さらに地図を見れば「若松町」先の交差点「牛込柳町」左折の外苑東通り沿いの弁天町に「草間彌生美術館」があって驚いた。

 2017年10月開館とか。早稲田通りから「漱石山房記念館」辺りまで歩くことはまゝあるも、その先に同美術館が建てられていたとは知らなかった。前衛美術には興味薄い小生だが、同館サイトの草間彌生プロフィールを読んでいると、微妙に「ソール・ライター」とクロスしていて面白くなってきた。

 ライターは1923年生まれ。草間は彼より6歳下の1929年生まれ。草間のNY個展が1959年で、ライターはNYでファッション写真を撮り始めたのが1957年だった。ライターが五番街にスタジオを構えた頃に、草間はNYで裸体男女に水玉を描くなどの「クサマ・ハプニング」を展開し、1969年にはNY近代美術館でヌード・パフォーマンス。米紙が「これが芸術?」の見出しで報じたとか。草間は1973年にパートナーの前衛芸術家ジョゼフ・コーネルの死を契機に帰国した。

kusama1_1.jpg 一方のライターが、五番街のスタジオを閉鎖して隠棲したのが1981年。だが2006年(83歳)の時の写真集で俄かに再評価。彼は自室で寛ぐ多数女性のヌード写真を撮り、そのモノクロ紙焼きの上から、ガッシュで色彩豊かな作品を描いていた。2013年11月、89歳没の前年に映画『写真家ソール・ライター急がない人生で見つけた13のこと』公開で人気に火がついた。

 草間彌生は1993年(64歳)にヴェネツィア・ビエンナーレ参加で世界的に再評価。彼女の人生を描いた映画『草間彌生∞INFINITY』公開が2019年だった。

 小生、前衛芸術がよくわからない上に、同美術館もコロナ閉館中。草間彌生が理解出来ぬまま同館の道路反対側の「多門院」へ寄った。

 そこに「松井須磨子の墓」があった。松井須磨子は島村抱月がスペイン風邪で亡くなり、彼女は後追い自殺をした。そこから小生は、スペイン風邪の最中に永井荷風はどう過ごしていたのだろうかと『断腸亭日乗』をひも解き、5月8日のブログに相成った。

 多門院より数軒隣に「精神研究所付属晴名病院」あり。草間氏は同病院で暮しつつ、近くのアトリエで水玉模様を描き続けたいたらしい。現在91歳。美術館も新宿図書館も再開されたら、改めて草間彌生のお勉強をしてみましょと思った。「吉岡彌生~草間彌生~ソール・ライター~松井須磨子(島村抱月)~永井荷風」とつながったお話でした。

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