ナダール②地下~気球~海中写真 [スケッチ・美術系]
パリっ子が気球撮影に喝采すれば、また新たな撮影がしたくなる。41歳(1861)から、暗闇の世界「パリの地下墓地・下水道」撮影に成功。地下世界を白日の下に晒し、またパリっ子は拍手喝采。ナダールは「地下世界」はほどほどで、気球の魅力にドップリと嵌って行った。
13名乗員の大型気球で3時間飛行後に不時着。2週間後には9名乗員「巨人号」でパリ~ベルギー~オランダ~海上で方向転換~ドイツへ。計15時間、大損傷ながら無事着陸。47歳(1867)、凱旋門中心の8枚綴りパリ俯瞰写真を完成。
50歳(1870)、普仏戦争では仲間らと気球上空からパリ城壁外の敵軍を偵察。さらに気球郵便事業へ。これら事業で資金を使い果たしたナダールは再び肖像写真へ戻ったが、今度は多くの著名人の〝死の表情〟も撮り始めた。
53歳(1873)、パリ郊外の別荘生活が多くなって、一人息子ポールが家業を継いだ。1874年、彼のスタジオで第1回印象派展が開催。この頃になるとコダック社フィルムでスナップ写真が可能になって、息子ポールは新聞の対談記事にスナップ写真を撮った。彼は「写真協会」を設立。コダック社の商品販売、さらに1891年に写真専門誌「パリ・写真家」を創刊。
息子ポールは肖像写真からファッション写真家として第一人者へ。(小生が図書館の蔵書検索から求めた「ナダール写真集 ベル・エポック」を借り見れば、写真左のような見開きのファッション写真満載の息子ポールの写真集だった)
一方のナダールは未だ老えず。「マルセイユ港」で「海中写真」に挑戦し始めた。小説家~風刺画家~肖像写真家~地下世界の撮影~気球による俯瞰撮影~気球郵便事業~海中写真。飽くなき好奇心と新たな挑戦を続けたナダールは90歳(1910)で亡くなった。
海の向こう米国では、12歳(1935)のソール・ライターが母からカメラをもらって撮影開始。その4年後(1939)にファッション写真家ポールが亡くなった。以上から「ソール・ライターはナダールの直系子孫」には多少無理があって、むしろライターはナダールの息子ポールの直系と言った方が相応しいか。以上、伝説的初期写真家ナダールの紹介でした。
2020-06-21 11:53
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