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矢来町④幻の酒井伯爵邸の庭園 [牛込シリーズ]

sakaiteinoniwa_1.jpg 牛込矢来屋敷の新しい庭と亭が、小堀遠州によって3年余を要して完成したのは寛永21年(1644・忠勝57歳)の時らしい。

 ~と云うことは、明治43年発行『名園五十種』(近藤正一編。博文館)で紹介の酒井伯爵邸の庭園は、明治維新で矢来屋敷が接収された後の、2万坪の酒井伯爵邸の庭(現・みずほ銀行社宅=矢来ハイツ)と推定される。よって「ひたるが池」の言及もない。明治末期から戦前までの短い間に存在した幻の名園レポート。それを以下、抜粋紹介です。

 矢来の酒井家の庭といへば誰知らぬ人のない名園で、梅の頃にも桜の頃にも第一に噂に上るのはこの庭である。彌生の朝に風軽く袂を吹く四月の七日、この園地の一覧を乞ふべく車を同邸に駆った。

 唯見る門内は一面の花で、僅にその破風作りの母屋の屋妻が雲と曖靆(たなび)く桜の梢に見ゆる所は~(中略)美いと云ふよりも、上品といふべき構(しつら)ひである。(中略)~応接所を出て壮麗な入側に誘かれて書院に出づると、茲に面せるが即ち庭園である。遉(さすが)に旧高十幾万石を領せられた大諸侯の園地だ。地域の廣澗(ひろ)いことは云ふまでもなく(中略)~如何にも心地の好い庭である。陽気な・・・晴々とした庭である。庭といふものが樹木鬱蒼、深山幽谷の様を写すものとのみ考へて居る人には是非この庭を見せて遣りたく思うた。

 庭は天鷲絨毯(びろうどせん)を̪敷いた如うな奇麗な芝生の廣庭で、所所に小高い丘があつて、丘の上には松や紅葉やその他の常盤木が位置よく配置され~(中略)この美い植込の彼方は一面の梅林で、見渡す限り幾百株とも知らぬ古梅が植わつて居る。(中略)~芝生の間につけられた小径を右手に進めば、刈り込んだ檜を「く」の目形に二列に植ゑて奥殿の庭との境を画せられて居るに、それを斯く構(しつら)はれたのは非常に面白い趣向で~(中略)~若し眼を上げて西南の空を見遣れば、参天の老杉と榎の大樹が霞の彼方に立ちて、一入(ひとしほ)庭の深からしむるに、此れに続く当家の菩提寺なる長安寺の木立が小山の如く聳え、後庭の桜が雲のやうにむらむらとその裾を立籠めて居る所は、この庭園の為には絶好の背景を作つて居る~。

 同誌には庭園写真1点が掲載で、粗いままアップします。きっとこの名園は戦災で跡形もなくなって日本興業銀行社宅になったのだろう。明治末期から戦前までの幻の名園の記録でした。『名園五十種』は123頁~に紹介。全文お読みになりたい方は国会図書館デジタルコレクションをどうぞ。次は酒井忠勝についてを記して矢来町シリーズを終わります。

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