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泉鏡花①旧居巡りの前に~ [牛込シリーズ]

IMG_5623_1.JPG 泉鏡花の旧居巡り前に、鏡花プロフィールをお勉強。参考は笠原伸夫『評伝泉鏡花』(白地社)、日本の作家『泉鏡花』(小学館)、『作家の自伝 泉鏡花』(日本図書センター)、『日本文学全集:尾崎紅葉・泉鏡花』(中公公論)など。関心抱かぬ作家ゆえ、俄かに『高野聖』と短編の幾編かを読んだのみで、その文学に言及の知識はなく、彼の旧居巡りから彼の世界を探ってみます。

 明治6年(1873)金沢生まれ。本名・鏡太郎。父は彫金師・清次(象嵌師。尾崎紅葉の父は彫金師)。父29歳・母17歳で結婚。母・鈴は加賀藩の葛野流大鼓師で江戸詰め田中豊喜(万三郎、猪之助)の長女。江戸は下谷生まれ。鈴の兄は養子に出された松本金太郎で、宝生流シテ方として知られた能学師。母一家は明治元年の能楽師の国元帰還令で金沢に戻った。

 鏡太郎は、母が江戸から持ち帰った草双紙の絵を見るのが大好き。9歳の時に母28歳が次女の産縟熱(天然痘説もあり)で死去。鏡花は「五つぐらいの時だと思う。母の柔らかな乳房を指で摘みつまみして居たように覚えている~」。若い母の死に無常、異性=母への思慕を抱えて育ったらしい。以後は祖母「きて」が養育。

 父は母より8歳上のサクと再婚も、子らが馴染まず離縁。だが鏡太郎には次々と美しい女性が現れた。近所の湯浅しげ、又従姉の目細てる。11歳で米国人経営の北陸英和学校に入学すればミス・ポートルにも愛された。鏡花にとって異性=亡き母・年上女性の図式が出来た。

kyouka2satu_1.jpg 16歳、紅葉『二人比丘尼色懺悔』に感動し、小説家志望で上京。知人友人の下宿を転々とする放浪生活1年余。下層裏長屋体験を経て、18歳で牛込横寺町の尾崎紅葉(新婚早々24歳)の門下生・玄関番として修業開始。

 「実に此門に参らん事、積年の望みなりければ、其儘心なく容易(たやす)くは入りかねて~。長らく躊躇したのちに衣服の襟を繕ひつゝ、門の内を二三十歩、又格子戸を潜りあり、静に開けて立向ひ、慮外(ぶしつけ)ながら御免下さいましと申し~ 明治二十四年十月九日午前八時三十分」

 「お前も小説に見込まれたな。都合が出来たら世話をしてやってもよい」に翌日再び先生宅へ。「夜具を持ってはいまいな」で同日夕方に小さな机と本箱をもって玄関へ。共に父は居職で、早くに母を亡くした境遇。鏡花は修業中に金沢大火で実家類焼、父死去などで帰郷時期もあるも寄食生活は22歳まで。(写真の評伝本表紙絵は『続風流線』の鰭崎英朋の句絵。

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