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泉鏡花③『蛇くひ』 [牛込シリーズ]

IMG_5630_1.JPG 泉鏡花25歳(明治31年作)の『蛇くひ』を、大正14年9月発行『鏡花全集巻三』(平成6年復刻版。写真)で読んでみる。行間たっぷりととって総ルビ。旧仮名、旧漢字の教科書でもあります。以下、数行を紹介する。無学小生が読めぬ漢字だけ(ルビ)する。

 ~渠等(かれら)は己を拒みた者の店前に集り、或は戸口に立竝び、御繁盛の旦那吝にして食を與へず、飢ゑて食ふものゝ何なるかを見よ、と叫びて、袂を探ぐればう畝々と這出づる蛇(くちなは)を掴みて、引断(ひきちぎ)りては舌鼓して咀嚼し、畳とも言はず、敷居ともいはず、吐出しては舐(ねぶ)る態は、ちらと見るだに嘔吐を催し、心弱き婦女子は後三日の食を廃して、病を得ざるは寡(すく)なきなり~

 榎の祠から数十の蛇を捉え、釜茹でする描写もある。よくもまぁ、そんな事を好んで書くなぁと驚いた。また『高野聖』でも蛇・蛇~の描写が続いて、次は樹の枝からぽたり・ぽたりと落ちてくる三寸ばかりの山海鼠(9㎝のヤマヒル)に襲われる描写が続く。鳥肌ざわざわさせつつ読み進めば、今度は婦人が衣紋の乱れた乳の端もほの見ゆる膨らかな胸を反らして沐浴する妖艶なシーン、その婦人が背後から抱くように坊さんの法衣をすっぽりと脱がし、張り付いたヒルを捕り、さらさらと水をかけ洗うシーンになったりする。

 いやはや、あたしはこんな小説は初めて読んだ。それで鏡花は「黴菌恐怖症・超潔癖症」というから魂消た。本当は蛇や蛭や黴菌が好きなんじゃないかとさえ思ってしまう。そう云えば~と小生も思い出す。O島へ行くと、会う度に必ず恐々と蛇の話をする人がいた。恐くイヤなら話さなければいいのに~。すまないが、お付き合いを遠慮させてもらったが、今思えば彼は〝0島の泉鏡花〟と云えなくもない。鏡花ファンのご婦人方は、そんな蛇や蛭や化け物噺に「キャー・キャー」と恐がりながら、鏡花文学に魅了されているのかしら。

 蛇の話なら小生体験もある。20代の山男時代のこと。ザイルワークの沢登り最後にブッシュを漕いで稜線に出るのだが、そのブッシュ漕ぎで草の根元を掴んだら、蛇がとぐろを巻いていた。40代のヘラ鮒釣りで、水辺の釣り座用意にゴミの紙を除いたらそこに蛇がいた。

 O島ロッジは自然の中。庭の手入れ最中、木の根が腐った跡の穴からムムゥ~と生臭さが立ち昇って、本能で後ずさりすれば、穴からヌネヌネと大きな蛇が這い出した。O島には〝飛び蛇〟もいる。青大将の黒化した黒蛇で、これが枝から枝へ跳ねる。M原山の土産屋にはマムシ入り焼酎が売っていた。島の友人にはマムシを食う奴もいる。生活道路に蛇の死骸があってイヤだなぁと思っていたら、キジが銜えて飛び去る光景もみた。芭蕉句「蛇くふときけば恐ろし雉の声」

 雉の声より怖い体験もした。風呂場から裸になった女房の悲鳴。すっ飛んで行くと浴室に赤斑模様の小さな蛇がいた。棒で打ち殺し、死骸をシャベルですくって藪へ捨てた。

 新宿にも蛇は出る。近所の団地を通り抜けようとしたら、子供らが小さな蛇で遊んでいた。気味悪く子らを避け通ったら、少年Aが面白がって蛇を持って迫ってきた。イヤがる人にイヤなことを迫れば、逆上して君を叩き潰す暴挙に出兼ねないと怒鳴りつつ説教した。あぁ、そんな泉鏡花の小説よ~と思った。次は鏡花の麹町時代へ。

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