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平成を振り返る(1) [政経お勉強]

sihonminsyu1_1.jpg 先日、ウォシュレットがらみで水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』をちょっと紹介したが、同書と共に、同氏+山口二郎共著『資本主義と民主主義の終焉』も入手。同書を参考に平成を復習し、己も振り返ってみたくなった。(ウフッ、閑なんですよぅ)

 まずは平成元年(1989)。消費税3%。中国「天安門事件」。海部内閣時に「ベルリンの影」崩壊。日経株価3万8915円。世界のトップ企業10に日本の7社がランクイン。バブル絶頂です。(1990年に三菱地所がロックフェラー・ビル群を買収。横井英樹が1991年にエンパイア・ステート・ビルを買収)

 日本に脅威を感じた米国が焦った。日本に巨額の公共投資を強い、日米構造協議で日本の流通システム、大店法などの市場開放を要求。結果、大型スーパーの出店規制が緩くなって、やがて町の商店街がさびれて行った。さらに日本の黒字分を武器購入で埋め合わせする〝オフセット戦略〟(戦力相殺戦略の一環として日本に精密誘導兵器などの導入を強要。これは後の安倍・トランプによる高額兵器購入の〝第3次オフセット〟へ至る。不動産面では現在、東急不動産・三井不動産・三菱地所などがニューヨークに進出している)

 小生:新宿御苑前の倉庫上の事務所から「市ヶ谷・佐内坂マンション4階」へ移転。幌型ランクル40からランクル60系へ乗り換え。スタッフも7名に増えてバブルに乗っていた。

 平成2年(1990)、日経株価2万円割れでバブル崩壊(金融緩和+公共投資拡大によるカネ余りが原因)。東西ドイツ統一。小生:主仕事が音楽業界でバブル被害は少なく、個人オフィスを外堀沿いにも設ける。ゴルフ会員権購入(会員権売買会社のPR誌編集もしていて~)、伊豆大島ロッジ用地購入。共に購入後にバブル価だったと知るも後の祭り。ゴルフ会員権はラウンドする度にドドォ~ンと下落。

 平成3年(1991)、宮沢内閣。イラク湾岸戦争勃発。小生:大島ロッジが出来、スタッフ7名を連れて大島で忘年会を恒例化。仕事が終われば日夜新宿で飲み歩く日々。平成4年(1992)、PKO協力法成立。小生:事務所にレイアウトが出来る高級ワープロに加え「Mac」2機導入。

 平成5年(1993)、土井たか子率いる日本社会党マドンナ旋風。細川内閣誕生。EU発足。1ドル100円割れ。新日鉄がホワイトカラーを含む7千人を人員削除。リストラなる言葉が定着。小生:バブル崩壊に関係なく、主クライアントのレコード会社が時流に乗り遅れて一気凋落。佐内坂と曙橋の事務所を整理して幡ヶ谷で移転。

 平成6年(1994)、羽田内閣から村山内閣へ。平成7年(1995)、阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。1ドル=79.75円(超円高)。日経連が「新時代の『日本的経営』」で労働者を幹部候補と専門職と派遣社員に分類。非正規雇用が増加。小生:事務所経営厳しく1/6は大島暮らしで、薪ストーブの炎に癒された。

 平成8年(1996)、橋本内閣が日本版金融ビッグバンを提唱。個人でも為替取引可能、取引上限を撤廃、電子取引可能(結果、外国投資家が電子取引で参入)。住宅金融専門会社8社の不良債権処理に6850億円の公金資金投入。平成9年(1997)、消費税5%。銀行や証券会社が相次いで破綻。平成10年(1998)、小渕内閣。金融再生法執行。日本長期信用銀行破綻。

 小生:事務所を幡ヶ谷から大久保へ移転。社員を整理し、その事務所(中古マンション)を購入して自宅にする。再び一人フリーから再出発。年齢相当で音楽仕事も演歌中心へ。パソコンで経理すべく「Windouws」に切り替え。

 平成11年(1999)、EU統一通貨ユーロ導入。森喜朗を経て、平成13年(2001)に小泉純一郎内閣へ。小生:振り返れば、フリーランサーから〝会社ごっこ〟をしたが、日本経済の激動に揺り揺られ。再び一人フリーに戻って再出発。あたしは〝社長業〟より、職人っぽい仕事のやり方が似合っている。

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