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平成を振り返る(5) [政経お勉強]

taisyu1_1.jpg イギリスのEU離脱(国民投票)、トランプ大統領誕生(大統領選)、日本では平気で嘘をつく安倍総理の長期一強を支えて支持率~。これら民主主義の結果をみていると、大衆は愚かだで、それも現実だと認識せざるを得ない。

 そう教えてくれるのは、なんと明治16年(1883=スペイン王制復古の最中)のマドリード生まれのオルテガ・イ・ガセットの、昭和5年(1930)発表の『大衆の逆襲』だった。時はウォール街からの世界恐慌(1929)翌年で、「スペイン内戦」(1936~39)直前。ヘミングウェイ『誰が為に鐘は鳴る』、ピカソ「ゲルニカ」の前。ドイツでは世界恐慌の不安に乗じたナチ党が国会選挙で第2党の議席を獲得した年だった。

 スペインは第一次大戦を中立で過ごすも、インフレで労働運動が活発化。それを鎮圧したリベラ将軍の独裁が続いて、共和制を求める民衆デモが各地に起ろ始めた最中の出版。マドリード大学教授になっていた彼が、当時の時代観察から「以前にはなかった〝群衆(蝟集)の出現〟が普通になったと注目して大衆を分析した。

 彼は大衆を、労働大衆ではなく「19世紀のデモクラシーと科学技術の落とし子」と捉え、特別な資質を有さぬ平均人の総体と捉えた。彼らは自分を特殊な価値と認めず、自分は「すべての人」と同じであると感じていて、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々を同一であると感ずることに喜びを見出している。自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々と捉えた。

 かつての(本来の)デモクラシーは、自由主義と法に対する情熱(自己に厳しい規律を義務付けた)で保たれていたが、今出現した大衆は「喫茶店での話題から得た結論を、実生活に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じている。そんな彼らが社会を支配するようになったと分析した。

 19世紀が大衆人に恐るべき欲求とそれを満足させるための手段を与えた結果、大衆人は過保護の「お坊ちゃま」と化し、自分をとり巻く高度で豊かな生の環境=文明をあたかもそれが空気のように自然物であるかのように錯覚し、かつ自分があたかも自足自律的人間であるかのように錯覚し、自分より優れた者の声に耳を貸さない不従順で自己閉鎖的な人間と化した分析した(なにやら今のトランプ熱狂派の人々を説明しているようですし、日本の世襲議員もその典型のように思われます)。

 その結果、すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者を締め出す危険を帯びて来た、今はそんな残酷な実相を帯びてきたと記す(今のSNSに現われている現象のようでもあり)。今はそんな大きな存在になった大衆に求められるのは、政治の真の国民になるには、より積極的で深い「社会教育・国民教育」ではないか。大衆が深い知性を有して、初めて「真の政治は社会大衆のための、社会大衆とともに、社会大衆のゆえに存在するもの」になるのでは~と教えている。

 当時は財産均等化、文化程度の平均化、男女両性も接近しつつある中間層拡大・平均化にあっての大衆出現だっただろうが、オルテガ『大衆の逆襲』から91年後の現在は「欲望暴走の資本主義」によって「一部富裕層VS大衆(減少する中間層を含む非富裕層)=財産の不均衡化」構図になって、大衆は大きな矛盾と不満を抱いて悶々と生きて。それが民主主義の結果とも思えぬ国民選挙、大統領選挙、嘘で固めた保守党支持の結果を生んでいるように思えるのだが、いかがだろうか。今こそ「さぁ、もっと教育を、もっと勉強を~」というオルテガの声が聞こえてくるようです。

hottanigaoe.jpg なおオルテガはフッサール「現象学」をドイツ外に初めて紹介した一人とか。また弊ブログでお世話になった『方丈記私記』『定家明月記私抄』の堀田善衛はスペイン史の大家。彼のスペイン関連書『スペイン断章(上・下)』や『スペインの沈黙』などが読みたくなってきました。

 左絵は『定家明月記私抄』関連ブログ記事中で描いた堀田善衛の似顔絵。文字は同書冒頭に記された堀田の「世上逆追討耳に満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戒吾ガ事ニ非ズ」を省略したもの。

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