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金子光晴①『どくろ杯』に妙な親しみ~ [読書・言葉備忘録]

tujioyako.jpg 金子光晴『どくろ杯』冒頭部分に~「天災地異のどさくさにまぎれて、一人の青年将校とその部下の上等兵とが、著名な社会主義者夫妻を拘禁し、甥に当たる六歳の子供といっしょに扼殺した」と書かれていた。

 かつて小生はブログ「辻まこと(1)」で、こう書き出した。「荒畑寒山は管野スガを幸徳秋水に寝取られ、幸徳とスガは大逆事件で処刑された。辻潤は妻・伊藤野枝を大杉栄に取られ、大杉と野枝は甘粕大尉に虐殺された」(★大杉栄は大正12年に、有島武雄に無心した渡欧資金で上海からパリへ旅立った。★荒畑寒村は大正11年に北京ソビエトへ潜入。パリではメーデーに飛び入り演説をした)

 伊藤野枝と辻潤の子「辻まこと」は、「もく星号」墜落現場へ散乱した宝石収拾に三原山に行った。辻潤は昭和3年に「まこと」を連れて渡欧した。帰国3年後に「自分は天狗だ」と友人宅二階から飛んだ。

 『どくろ杯』にも、それが書かれていた。「辻潤が、京都の等持院の撮影所につとめていた岡本潤のところに泊まって、じぶんは天狗とおもいこみ、飛べるつもりで二階から飛び下りて足をくじき、びっこをひきながら正岡のところを訪ねて、一晩泊まっていった~」

amakasunanten.jpg 「正岡容」と云えば、永井荷風66歳の時に市川散策ついでに41歳の正岡夫妻宅を訪ねるなど一時期親交を重ねていた。荷風は彼の妻で舞踊家・花園歌子が目当て~の噂もあった。また『どくろ杯』には白山・南天堂の記述もあった。

 「白山にあった南天堂という本屋の二階にあつまった若い詩人たちは乱酔、激論、最後は椅子をふりあげ、灰皿を投げ、乱闘になるのが恒例であった~」。 あたしは小島キヨ(3)で寺山珠雄『南天堂』を紹介した。今もある「南天堂書店」を撮っている。関東大震災のどさくさに大杉・野枝が、さらに亀戸で多数〝主義者〟が官憲に殺されるなどで行き場の無くなったアナキスト、ダダイスト、詩人らが「南天堂」に集って憂さを晴らしていた。平林たい子や林芙美子らも常連で、芙実子は辻潤に同人誌を激励されている。大酒呑みの彼女は「五十銭くれればキス一回~」など酒乱の日々。のちの「野鳥の会・中西胡堂」も処女詩集の出版祝いを同店で行っていた。

 『どくろ杯』には、その正岡容も中西胡堂もよく登場する。さらに森三代子と情交を重ねた三畳間は、牛込赤城元町の崖下で、小生ブログ「牛込シリーズ」に欠かせない人物でもあり。

 かくして『どくろ杯』は、小生に詩の観賞力はないも、光晴・三代子のアジア極貧旅行記は妙に親しみを覚えつつ読了。順序としては続編『ねむれ巴里』『西ひがし』へと読む進むべきだろうが、小生「せっかち」ゆえ金子光晴のプロフィールを早く知りたく竹川弘太郎『狂骨の詩人 金子光晴』、子息・森乾『父・金子光晴伝~夜の果てへの旅』、ちくま日本文学『金子光晴』、『相棒~金子光晴・森三代子自選エッセイ集』を読みつつ、彼の経歴を掴んでみることにした。

 ついでながら『夜の果てへの旅』と云えば、小生には(フェルディナン)セリーヌの同題長編小説を二十歳の頃に読んだ衝撃が忘れられない。それで〝まともな日本文学〟など読めなくなって、次にヘンリー。ミラー全集を読み始めた。

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