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③新宿御苑隣接の「汐留川・新橋の親柱」 [散歩日和]

jyukusinbasioya_1.jpg 新宿御苑隣接地の昔の「みちの博物館」(詳細不明)に「京橋の親柱」と並んで、もう一つ立派な親柱があった(写真左)。その写真をPC片隅にキープし「東京 親柱」で検索。すると「あった」ではないか。なんと「新橋の親柱」らしい。しかも「京橋・親柱」と同じく、これもモニュメントとして保存設置とか。

 まずは新橋を流れていた「汐留川」の予習から。「新橋」は昭和30年代まであった「汐留川」に架かっていた橋。汐留川は赤坂溜池~江戸城外濠・幸橋~浜離宮を結ぶ水路。江戸期の汐留川は幸橋御門~汐留橋で、架橋は土橋~難波橋(涙橋)~芝口橋~汐留橋(蓬莱橋)。

 当時の新橋は、江戸城見付門のひとつ「芝口御門(芝口橋)」で、朝鮮使節が同橋を渡る際に、幕府の力を誇示したく設けられたもの。当時の姿は〝蓬莱橋〟近くに史跡案内の銅版で紹介されているとか。同橋は享保9年(1724)正月に焼失した。ちょっとややこしい歴史がある。

 今の元「新橋」は、江戸後期の架橋で長さ18m、幅7.8m。「江戸名所図会」(斉藤kyoubasi-sinbasi2.jpg幸雄の編・文/長谷川雪旦の画)の「新橋・汐留橋」の絵で当時の様子がわかる。同図会の文章を読む。「<新橋>大通り筋、出雲町と芝口一丁目との間に係る。正徳元年辛卯朝鮮人来聘の前、宝永七年庚寅此所に新に御門を御造営あろて、芝口御門と唱へ、橋の名も芝口橋と更られしが、享保九年正月廿九日の火災で焼亡するの後は、復舊の町屋となさたれり。此川筋の東木挽町七丁目と芝口新町の間に架せしを汐留ばしといふ」

 その新橋は京橋と同じく格式誇る擬宝珠の装飾付き。だが汐留川は昭和30年代後半に東京オリンピックに備えた道路整備で埋め立てられ、その上に首都高速道路が走った。今、新橋にモニュメントとして遺された親橋は、旧新橋の南東側に移築されていたが、傾いていたことかsinbasisiodome_1.jpgら平成2年に解体補修され、銀座8丁目にあった「銀座の柳」歌碑と共に現在地に整備設置された。

 さて新橋と云えば「新橋ステーション」だろう。新橋ガード下から昭和通りへ曲がると、道路向こうに「汐留シティセンター」「パナソニック」「電通ビル」などの超高層ビル群を背に明治・大正期風の「旧新橋停車場」が、ちょっと異なる感じで眼に飛び込んでくる。 

 本来の新橋停車場は、関東大震災で焼失。平成8年(1996 )に遺構を基に復元。駅舎(鉄道歴史展示場)、プラットホーム、0哩標識(終点軌道)などが再現。最近なにかと話題の電通ビルの裏は「浜離宮」で、汐留川がここで東京湾に繋がっている。さぁ、こんな予備知識を得た新橋に行ってみましょうか。

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