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④新橋の親柱を訪ねる。 [散歩日和]

sinbasioyabasira_2.jpg 丸の内線「銀座」下車で、三越から中央通りを新橋へ銀ぶら。高速道路下に新宿御苑隣接地に見たのと同じ親柱が、「銀座柳の碑」(西条八十作詞・中山晋平作曲の歌詞・譜面)と共に設置されていた。案内柱に以下のような説明あり。

 「これは、かつて汐留川に架けられていた親橋の親柱。汐留川は昭和38年(1963)の埋め立て工事でなくなりました。現存する新橋の親柱は、大正14年(1925)に長さ20m、幅27mの鉄筋コンクリートで作られた橋の一部。地域名の由来を今に残す貴重な遺構です」

 新橋から下流にあった「蓬莱橋」跡辺りに、朝鮮使節団に幕府の威光を誇示すべく造られたという当時の「芝口御門」の様子が銅版で紹介されていた。そこから「旧新橋停車場」へ。

 建物裏側にまわるとプラットホーム、線路、0哩標識が再現されていた。停車場の「鉄道歴史展示室」で購った絵葉書通り。同停車場横が「パナソニック」で同社「汐留美術館」の告知に、4月10日から「クールベと海」展の予告ポスター。

 かつて、ここで「カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」展を観たことを思い出した。小生、波を描く簡易習作をしたことがあるゆえ、ちょっと興味をそそられた。

 そこから電通ビルを回り込むと眼前に「浜離宮」。築地川の大手門(関東大震災復興で架け替え)があり、その先に汐留川の「中の御門橋」があった。

sibagutigomon_1.jpg 浜離宮からの帰路途中に「銀座に残された唯一の踏切信号機」(浜離宮前踏切)が残されていた。「昭和10年(1935)、築地市場の開場と同時に出来た貨物線の跡。昭和61年(1986)まで国鉄汐留貨物駅があって、築地市場とつながっていていた当時の踏切です」

 さらに新橋駅に向かって歩けば、昭和47年竣工の黒川紀章設計「中銀カプセルタワー」。老朽化、アスベスト、保存か・解体か~諸問題を抱えているらしいが、天辺が何故にトタン造りなのか不思議に思った。

 以上、新宿御苑隣接地で見た〝変な塔〟(結果は新橋、京橋の親柱だった)調べはこれにて終了。なぜこんなことに興味を持ったかと云えば、かつて自転platform_1.jpgsinbasiehagaki_1.jpg車に乗り始めた頃に「日本橋川」を下りつつ各橋を巡った(カテゴリー「日本橋川」全31回)ことがあってのことだろう。次は「パナソニック汐留美術館」で〝クールベと海展〟を観た際に、新橋から溜池までの汐留川を歩いてみようと思っています。

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