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新宿花園神社に「もく星号」の痕跡 [散歩日和]

miharayamanikkouki.jpg 花園神社の末社「威徳稲荷大明神」の巨大木製男根を調べていたら、なんと花園神社に「もく星号」痕跡の奉納額があるのを知った。

 松本清張『運命の「もく星号」』(昭和35年)、『風の息』(昭和49年)、『一九五二年日航機「撃沈」事件』(平成4年)について、また辻潤の息子・辻まことによる三原山に散乱の宝石収拾記『墓標の墓』、西木正明『夢幻の山脈』などを紹介してきた小生には、ぜひその奉納額を観たく駈けつけたが、それを眼にすることが出来なかった。

 まず同奉納額を知った最初は『新宿文化絵図』(新宿区の編・発行)の町田忍「新宿探検コラム」だった。以下、同記事と紹介サイトの幾つかを併せて要約してみる。

 花園神社のゴールデン街に抜ける裏参道に面した社殿軒下に、数枚の寄進された額が架けられていて、そのなかでひときわ大きい幅2m×高さ70㎝のほ奉納額がある。題字に「神徳感謝」と「同栄信用金庫飛行機貯金旅行會献木記念」。神社と飛行機の絵の間に東京~大阪~福岡の運航地名。そして奉賛者名、昭和27年4月吉日の日付。

 その名簿から3機の機構記がチャーターされたことがわかる(定員36名)。1晩機が4月7日午前8時発で22名と3名の世話人。2番機が4月4日午後4時発26名+4名。3番機が4月5日午前8自発28名+3名。

 『花園神社三百五十年誌』には、こう説明されていた。~昭和27年4月9日、日本航空「もく星号」が三原山に墜落、漫談家の大辻司郎ら乗客全員の37名が死亡した大惨事があった。旅行に先立って、安全祈願の祈祷を当神社で受けた。命拾いしたということで、当社に記念の額が奉納された。

mokuseigou2_1.jpg ちなみに東京~大阪間は料金6千円(現在の10万円程)。同信用金庫は後に他2信用銀行と合併し、今は「さわやか信用金庫」。墜落(清張は撃沈された)の「もく星号」にはダイヤ売買の美女・小原院陽子が乗っていた。彼女が持っていた宝石類は、軍接収ダイヤがGHQへ渡り、それが闇ルートで流れたものと推測される。

 清張の3作目では彼女の写真、自宅内スケッチも掲載。一方、辻まことは乗鞍でスキー(彼は山スキーの指導員)合宿後に日航機事故を知り、彼女の家に駆けつけた。当時、共に彼女の家で酒と音楽で盛り上がっていた仲間の一人・西常雄が既に来ていて、二人は三原山に散乱した宝石類を収集しに旅立った。彼らは金鉱探しもしていたキャリアがあってメンソレータムの空かん一杯程を拾った。最後に岩に食い込んで取り出せないルビーらしきを、彼女の墓標として遺して山を降りた。その経緯を「墓標の石」に書いていた。

 そんないわくの「奉納額」。「花園神社」さん、その奉納額はどこに行ってしまったのでしょうか。追記:後日、改めて花園神社へ行った際に本殿前の「宝物殿」軒下に架かっていたのに気が付いた。写真を差し替えた。

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