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鏡花⑦雑司ヶ谷霊園を掃苔 [牛込シリーズ]

kyoukahaka1_1.jpg 大正14年(1925)、泉鏡花52歳。春に『鏡花全集』15巻の刊行開始。芝の紅葉館(青山光子が16歳まで奉公していた)で知友80余名が集まって祝宴。昭和8年〈1933)60歳。実弟・斜汀が何をやっても上手く行かず、家まで差し押さえられて徳田秋声のアパートへ若い妻と転がり込んで、間もなく負血症で急死。

 昭和14年(1939)66歳。佐藤春夫の甥(姉の子・竹田龍児31歳)と谷崎潤一郎の長男・鮎子(24歳)の結婚に鏡花夫妻が媒酌。同年9月7日、鏡花、胚腫瘍で卒去。枕頭の手帖に鉛筆で「露草や赤まんまもなつかしき」が絶筆。病床の露草から、犬蓼の花(赤まんま)を思い出して詠んだ句らしい。

 弊ブログで取り上げた文人らについては、概ね掃苔している。泉鏡花の墓は「雑司ヶ谷霊園」。墓地区域は「1-1-13-33」。道路側の番号標識の中へ10数m入った処に俳優・大川橋藏墓、その奥に「泉鏡花墓」があった。掃苔したのは11月末。落葉が溜っていたが、今なお美しい〝紅葉〟に抱かれているようだった。

 墓は小村雪岱構成、笹川臨風の書で「鏡花泉鏡太郎墓」。背面に「幽幻院鏡花日彩居士 昭和十四年九月七日没享年六十七 清次長男 俗名泉京太郎」。通夜に集った佐藤春夫はじめ文人らが考えた戒名とか。隣にすゞ夫人の戒名「眞女(如?)院妙楽日鈴大姉 昭和二十五年一月二十日没享年七十 泉太郎妻俗名すゞ」。さらに側面には祖父、祖母、父、母、弟の戒名、亡くなった年月と享年が刻まれていた。

 図書館から借りた関連書は返却済で、手許には中央公論社「日本の文学/尾崎紅葉・泉鏡花」、岩波文庫『婦系図』(前後篇)があるも、小生は熱心な読者ではなく、その文学に言及はできない。日夏耽之介が鏡花世界を評して「拵えごと」と記しているそうだが、関心抱けぬのもその辺にありそう。幾編を読んだ感想は、美人日本画のシュールっぽい多彩仕立て~と解釈した。物語設定、登場人物、ドラマ展開に無理・不自然があるも、そんなことにお構いなしの細密描写でフィクションに真実味を生みつつ押し切って一服の絵を完成させているような~。文学ではなく〝文芸〟が相応しいのか、本人の信条も「〝芸〟と名のつくものは、楽屋をさらけ出したらもう仕舞いです」

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