SSブログ

戸山荘のそもそも「済松寺・祖心尼」 [牛込シリーズ]

saisyouji1_1.jpg 「草間彌生美術館」前の外苑東通りと早稲田通りの「弁天町交差点」近くに、高い塀で囲まれた広い「済松寺(さいしょうじ)」がある。徳川3代将軍家光が祖心尼(そしんに)のために建てた臨済宗の大禅院。

 祖心尼は、弊ブログに登場の「尾張藩下屋敷=戸山荘」のそもそもに関係している。「戸山荘」は祖心尼が家光から拝領した広大地の一部、4万6千坪を尾張藩2代藩主・徳川光友に譲った(寛文9年・1669)ことから造園開始。その2年後に光友は幕府から8万5千坪を拝領するなどで計13万6千坪の大庭園になった。

 祖心尼は、なぜに家光から広大な拝領地を賜り、なぜその1部を尾張・光友に譲ったか。祖心尼は家光の乳母で大奥実力者・春日局の補助役から大奥実力者へ。祖心尼の娘「おたあ」が産んだ「お振の方=自証院」が家光側室になって「千代姫」を産み、千代姫が光友の正室になったことによるのだろう。

saisyojoe_1.jpg さて『江戸名所図会』から「蔭涼山済松寺」を読んでみる。~同所榎町にあり。京師(京都)妙心寺派の禅崫にして、本尊釈迦如来を安す。開山は心印正傳禅師、開基は素心尼(祖心尼の別称)なり。此尼は牧野兵部少輔政玄の女(小生注:牧村兵部利貞の娘)にして春日局と共に大将軍家昵近の侍女なり。当寺に御仏殿あり。芳心院(家光側室。現在は八王子にある)御別当を務む(此寺は芳心尼の開創なり)。御仏殿の前の池を鳳凰池と号く。霊亀水にて芳心院の池にありて、寛永の頃は御茶の水に掬さしめなふとなり。開山塔は養育院、是を預る。すべて僧坊六経堂鐘楼庫裏浴室等巍々然として、軒を連ね輪煥たり~。

saisyoji2_1.jpg 嘉永4年の切絵図を見ると、現在はかなり縮小されている。ちなみに荷風『日和下駄』(大正4年)に~牛込弁天町辺は道路取りひろげのために近ごろ全く面目を異にしたが~と記されている。

 家光公拝領から宝暦の大火、明治維新の廃仏稀釈(それで別当寺移転か)、大正4年頃の道路整備、昭和20年の大空襲~。その都度に再建・改築、敷地売却などで今日へ至るのだろう。今はコロナで閉門中。かつ中庭は非公開とか。だが現・駐車場から奥を伺えば深い森と「鳳凰池」がある雰囲気。谷を掘って山の趣を演出しての池らしい。

 荷風はまた「弁天町の裏の弁財天の裏通りに小流れあり。そこ根来橋という名を見つけ、江戸切絵図(大久保世山高田之図)に根来組同心屋敷のあったことを知る。歴史上の大発見でもしたように、わけもなくむやみと嬉しくなるのである」と記している。それは今も切絵図をひも解く者にも同じ気持ちが味わえる。

 なお祖心尼は山鹿素行、石田三成の遺児ら、由比正雪、加賀の前田家、京都妙心寺などと関係していて、歴史好きには興味尽きぬ存在らしい。目下小生は村松友視の「謎の人物・由井正雪。彼をそそのかす妖艶な女・素心尼~」なる帯コピーが踊る小説『由比正雪』読書中。

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。