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甘粕正彦(2)大杉・甘粕の陸軍幼年学校時代 [読書・言葉備忘録]

sanoamakasu2_1.jpg 角田房子「甘粕大尉」は、まず大杉栄虐殺事件を二人の軍人の眼を通して描く。大震災の東京警備の命を受けた金沢憲兵隊所属・中村上等兵の眼。大手町の東京憲兵隊本部に着くと麹町分隊所属に配属。分隊隊長が甘粕正彦だった。

 二人目は甘粕家と親交あった市川・鴻之台野戦重砲兵第一連隊・遠藤中隊長の眼。彼は帰省中の米沢から戒厳令下の市川に帰隊。朝鮮人討伐の凄まじさに、亀戸警察署長に朝鮮人の保護を承諾させるが、同署では「復(また)も社会主義九名 軍隊の手に刺殺さる」と「東京朝日新聞」(当ブログ5月26日にアップ済)が報じた通り残虐事件後で、「王希天」も殺害後だった。角田は「あとがき」で「王希天殺害事件」も書きたかったと記していた。

 角田は昭和48年に甘粕の弟妹に会って取材。取材時の実弟・二郎は、三菱信託銀行社長~会長~相談役で78歳。三郎は元陸軍大佐。四朗は元満鉄調査部上海事務所業務課長。五郎は「甘粕家の人々」を書いていた。甘粕の親戚は陸軍中将・甘粕重太郎、考古学者・甘粕健、社会学者・見田宗介など優秀人材を輩出。角田は大杉虐殺事件の項を、弟・二郎の「兄は軍の陰謀の犠牲になったとしか考えられない」で締めくくっている。

 角田、佐野両著ともに大杉事件を記述後に、甘粕正彦の少年時代、名古屋の陸軍幼年学校時代を振り返っているが、幾つかの逸話を紹介だけで甘粕少年像に突っ込んだ取材なし。甘粕の人間形成に最も重要な時期だろうが、ここを曖昧にしたために、その後の甘粕像がとても見え難くなっている。

 と思うのは、大杉栄も同じ名古屋・陸軍幼年学校入学で、この辺は大杉栄「自叙伝」で実にイキイキと描かれているからだ。大杉少年は丸亀連隊少尉の子。軍人家庭、軍人環境のなかで育つもケンカ好きのガキ大将。幼年学校の束縛・盲従に我慢ならずに暴れまくって放校。そんな大杉少年像が目に浮かぶように描かれている。彼はそんな窮屈な時代に、危険を顧みずに自分の考えを発言し続ける社会主義者らの勇気に感動し、次第に左翼化して行った。

 一方、警官の子で小柄な甘粕はどんな少年に育ったか。大杉の6年後に同じ陸軍幼年学校入校で、どっぷりと「皇国少年」に染まったとか。角田は幼年学校、士官学校時代の甘粕は“帝国陸軍”に目もくらぬほどののぼせ方で、弟・二郎の「兄の心酔ぶりと強制的な口調に反発を覚えたほど」の弁を紹介。程度を越えた皇国少年に育ったらしい。同じ名古屋・陸軍幼年学校で、大杉と甘粕を比較するに絶好のシチュエーションと思われるが、両著とも突っ込みが足りない。ノンフィクションってのは事実の積み重ねのみで、人間を描かぬか。(続く)


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