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日本橋川(14)「旧常磐橋」大改修中なり [日本橋川]

kyutokiwabasikoji.jpg 「新常盤橋」下流が「盤」を「磐」に替えて「旧常磐橋」。常磐門の枡型門一部が残って小公園あり。橋は明治10年(1877)に常磐門の石垣を使って西洋式二蓮アーチ橋として架橋。昭和3年に都内最古の石橋で国指定史跡。

 『慶長見聞集』に「御城の大手の堀に橋ひとつかゝりたり。よの橋より大きなれはとて是を大橋と名付たり」とある。それが大猷公(だいゆうこう=家光)になって「大」が同じで改名して「常磐橋」になったとか。

 その橋が目下、ご覧のような大規模改修中。今年3月27日の「東京新聞」都心面に、この改修工事の記事が大きく載っていた。橋の痛みが激しく3年前に通行禁止。そこに3.11の東日本大震災。アーチがゆがみ、路面陥没、アーチ下の石がずれ落ちかかる等で3億円予算で橋解体、石積み直すとあった。

nipponnbank2_1.jpg 今は工事塀で囲まれているが、昨年見た時は枡型門跡に近寄れて、地震で歪んだ石にチェックマークが付けられていた。その小公園に「青洲澁澤榮一」銅像が建つ。明治6年の「第一国立銀行」初代頭取ゆえで、「旧常磐橋」左岸は重厚な「日本銀行」(写真左)。明治29年の辰野金吾設計の重要文化財。なお「日本銀行」創業当初は、日本橋川が隅田川に合流する「豊海橋」手前にあって、史跡案内に当時の明治建物が金属板に刻まれている。

 また佐伯泰英『鎌倉河岸捕物控』は「金座裏の十手持ち」が主人公だが、その「金座」は『江戸切絵図集』を見れば、その地に「日本銀行」が建っているのがわかる。南分館に「貨幣博物館」あり。入場無料ながら充実の展示。小判から紙幣の歴史が丁寧に説明され、「金座絵巻」もあった。「金座」が幕を閉じたのは明治2年の造幣局設立まで。

tokiwabasi5_1.jpg 「日本銀行」裏(北側)は「三井越後屋」改め「三越日本橋本展」裏に接している。昭和10年完成で、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築だったそうな。

 そして架橋として現役なのが「旧常磐橋」下流60メートルの「常盤橋」。二蓮アーチ型を踏襲のデザインで、大きな親柱が印象的。


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