行春やお鉢巡りの脚は古稀 [週末大島暮し]
今回の島暮しは十二日間。きっかけは、斜め隣の別荘・M夫人(目白在住)を誘って、「新宿歴史博物館」開催の「中村彝展」を観に行ってのこと。あたしは島の露天風呂「浜の湯」好きで、その隣に中村彝(つね)さんの「首像碑」あり。その彝さんの目白(下落合)の朽ちたアトリエが、この三月に復元保存されて記念館になった。中村彝と新宿と伊豆大島のトライアングルがらみで、久し振りの島暮しになった次第。
M一家が二泊三日の島暮しで、その後に我がロッジにあたしの弟が遊びに来てくれた。彼は腰痛ながら三原山お鉢巡りに意欲を持った。噴火後の表砂漠開通時に、島通いの友人らと登って(歩いて)以来で、思いがけず六十代最後の“山登り”に相成り候。
急坂に脚も息もあがった。ヒィヒィと喘ぎつつ登って、三原(山)神社からお鉢巡りへ。最初に歩いたのは行きどまりの「火口見学道」だった。改めて「一周コース」へ。お鉢巡りは「右まわり」だそうだが、そんなこたぁ知らぬゆえ「左まわり」で歩いた。
「あぁ、六十代最後の山歩きだ」とつぶやきつつ、路肩ロープを頼りに頑張った。六十代最後ってぇことは、数えで「古稀」なり。
行春やお鉢巡りの脚は古稀
・・・「行春や~」と始まれば、芭蕉の「行春や鳥啼魚の目は泪」が口をつく。『おくのほそ道』の矢立の句。「魚の目は泪」を、千住の魚屋の店先の魚の眼も濡れて~と解釈した書があったように覚えているが、どうも合点がゆかぬ。
目下、このブログは「日本橋川シリーズ」途中。いよいよ日本橋に辿り着いて、尾村幸三郎著『日本橋魚河岸物語』を読んだ。「魚河岸と俳句」の章あり。著者は俳人ゆえ同章に力が入っている。芭蕉が伊賀・上野から江戸に出てきて草鞋を脱いだのが日本橋魚河岸は淡水魚問屋を営む杉山杉風の家「鯉屋」二階。杉風(さんぷう)はご存知、芭蕉のパトロン。「魚の目」は魚問屋・杉風の別れの泪とわかって初めて合点した。
行春やお鉢巡りの脚は古稀 ・・・二度登る馬鹿と言わず、これからは足腰鍛えて年に一度は三原山火口一周コース歩きに挑戦しましょうかねぇ。