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早稲田界隈と尾崎一雄 [散歩日和]

wasedastizu.jpg 早稲田の文人を紹介するサイトを拝見した。尾崎一雄が「水稲荷」(移転前の)参道際の下宿「時習館」に5年程住み、7年かけて早大卒業。「穴八幡」崖下の喫茶店経営の軍人未亡人と暮らし、次に“芳べぇ”と「亮朝院」際の下宿「関口」で同棲。「金田病院」で長女出産。「諏訪神社」脇の借家に移って、そこから穴八幡斜め前の蕎麦屋・三朝庵と早稲田中高校の間の「東光館」へ。それらが『猫』『暢気眼鏡』『芳エ物語』『あの日この日』などに書かれているとあった。

 新潮現代文學集『尾崎一雄』、筑摩書房の現代日本文學全集の尾崎一雄収録の集を借りて読んだ。大正9年頃から昭和12年の39歳までの約17年間を早稲田界隈で暮していた。あたしは、この頃の私小説は未読が多い。それは、まぁ簡単に言うとこうだ。小説家だが食えるほどではなく、貧乏を周囲(特に女性)に及ぼし、なのに女性遍歴を披歴する・・・そんな私小説ばかりで読む気になれぬ。『暢気眼鏡』は昭和8年で作者35歳作。その4年後に永井荷風『墨東奇譚』。後者は繰り返し読みたい作で、何故これほどに世界が違うのだろう、と思ってしまう。

 あたしも20代半ばより同界隈在住。最初は早稲田通りは「子育て地蔵」並びのビル4F。依って、作者の早稲田転居地は頭ん中で辿れる。しかし今、「子育て地蔵」境内に濱田煕さんが描いた「昭和10~16年頃の戸塚3、4丁目の家並と商店街」のイラスト大マップが掲示されてい、尾崎一雄の移転歴すべてが追える。suwajinjya3_1.jpg 『江戸名所図会』より界隈の“名所”を紹介してきたので、あたしも地図を描いてみた。

 すでに「穴八幡」「大窪天満宮(西向き神社)」を記してきたが、現あたしんチ地域の鎮守様は「諏訪神社」。先日も「諏訪神社」での盆踊り(写真)の賑わいを楽しませていただいた。そして神社隣が元別当「玄国寺」。で、なんと云うことでしょう、書院が「岩倉具視」邸一部だってぇから、改めて驚いた。

 岩倉具視は今春に、あの猪瀬知事著『ミカドの肖像』検証読書で触れたばかり。あの人(知事)は、何故にまた岩倉具視が孝明天皇を毒殺したなんて噂を肯定しつつ、同書を締めくくったのだろうか。地図を描きつつ、そんなことが頭ん中で膨らんできた。

 あたしには遠い話だったが、近所の玄国寺に「岩倉具視邸」で、これは面倒だが、またちょっと首を突っ込んでみなきゃなるまいと思いつつ、目下は机横に図書館で借りた岩倉具視関連書が積まれている。あぁ、頭が痛くなりそう。 


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