SSブログ

2:239年前の新宿「序」 [甲駅新話]

koueki1_1.jpg 約百字の漢文を飛ばして「序」から。すでに江戸の戯作は「古語辞典」をまめにひけば概ねわかると知ったので、今回も辞典首っ引きで始めてみます。

いたこ出嶋のまこも(真菰)にハあらで(有らで=なくて)、四谷新宿馬糞の中にあやめ(道理、分別の意もあり)もしらぬ一巻をひろひ得たり。朝帰りの朝な朝な、茶づる如くによミ流せば、力をもいれずして、あらかねの(「地」の枕詞)地廻りをうごかし、目の見えぬ按摩針の声きく如く。問屋場(とひやば:駕籠・馬の継立てをする所)をとはずして、四ツ手(四手駕籠。四本の竹で出来た安い駕籠)のはやきおそきをしり、大木戸をいでずして、倡家(やたい=娼屋)のあしきよきをしれバ、あさぎ染あいたらぬ情けも、てんぷらの味噌ごき中となるぬべし。たとひ時うつり客去り、むかひの桃灯(提灯)行かふとも、いさゐかまハず、いさらご(伊皿子)の品川と肩をならべて、駅路の鈴の音たえず、玉川の流れつきせずして、柳新葉のかゝるまで、この桜木(版木)の朽まじきこそ。  安永四ッのとし文月の頃 風鈴山人水茶屋に書す

 冒頭の文言は当時、江戸で流行った「潮来節」の替え歌 ♪四ツ谷新宿馬糞のなかに、あやめ咲くとはしほらしや」からとか。(小池正胤『反骨者大田南畝と山東京伝』より)。「茶づる=茶漬けを食う」。「ジャズる」など今も使われる名詞の動詞化が、江戸時代から使われていたとは面白い。読んでいれば、地回りの姿が浮かび、座頭のふれ歩く声も聞こえてくるようだ、と記している。

 「浅黄染、藍足らぬ情け、天麩羅の味噌ごき中となりべり」とは。浅黄色は田舎侍、野暮のこと。藍色が足りないのが浅黄色。その野暮の情けも、天麩羅に味噌をつけるようにしつっこく濃い仲になるにちがいない。(勝手解釈)。「柳新葉のかかるまで」も、由来ある言い回しだろう。「この桜木(版木)の朽(くつ)まじき(はずがない)にこそ(~でほしい」で結ばれている。えぇ、著者に今日の新宿の繁栄を見せてあげたい。

 絵は、山東京伝(北尾政演)が描いた若き大田南畝を〝遊び模写〟したもの。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。