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ジャポニスム2:ホイッスラーⅠ [北斎・広重・江漢他]

whistler1_1.jpg まずは最も早い「ジャポネズリー」とも云うべき絵を描いたホイッスラーについて。参考は小野文子著『美の交流~イギリスのジャポニスム』の第2章「ジェームズ・マックニール・ホイッスラーのジャポニスム」。

 彼は米国マサチューセッツ州生まれ。画家を志して1855年(安政二年)渡仏。四年後に英国移住。日本では吉田松陰が伝馬町入獄の年。

 ホイッスラーは英国の「芸術のための芸術=唯美主義」をリード。彼がオリエンタル・ペインティング『陶磁の國の姫君』を描いたのは1864年(文久四年)。同様作は他に『紫とばら色』(中国服モデルが陶磁器絵付けの図)、『紫と金の狂騒狂:金屏風』(大和絵屏風を背に床に座る着物女性が浮世絵を見る図)。

 著者はホイッスラーが日本美術品を見たのは渡仏時代で、入手はロンドン移住後。1863年(文久三年)のオランダ旅行で日本陶磁を購入し、パリの店へも注文していたと推測。当時のパリはリヴォリ街にドゥゾワ夫妻経営の日本・東洋品を扱う店あり。夫人が1862年に日本在住歴ありで、夫と同店を経営。顧客はマネ、ラトゥール、ボードレール、ゴンクール兄弟ら。またロンドンにも東洋品を売る店があったらしい。

 彼はかくしてオランダ、パリ、ロンドンで東洋品(次第に日本美術品)を蒐集し自邸を飾って、英国の日本美術愛好家の芸術家リーダー的存在に。1870年代に<ノクターン(夜景画)>シリーズを開始。その代表作が『靑と金~オールド・バターシー・ブリッジ』。

 同作は広重『名所江戸百景/京橋竹がし』からインスピレーション。その構図、情景印象を僅かな色彩と繊細な色使いで静寂を表現。禅画、水墨画にも通じる作品で「ジャポネズリー」(日本趣味)から「ジャポニスム」へ深化。従来西洋画から完全脱皮した新たな西洋画を構築。

 彼はさらに日本画の技法、溜込(たらしこみ)だけで描いた作品(水彩画かしら)も挑戦。同書のそのモノクロ図版を見て、小生思わず「あっ」と叫んでしまった。同書では俵屋宗達『風神雷神』の黒雲を例に説明していたが、小生は同作より緻密かつ完成度の高い溜込作品を見たことがあったからだ。

 以後は余談入りだが、小生は若い時分に画塾通いの時期があって、師はアル中で絵筆持てず、黄色系顔料をスポイトに吸い込んでポタッ・ポタ~リと大キャンバスに垂らし、具象抽象とも云えぬ風景画を描いていた。

 同書のモノクロ図版『バターシー』から、五十年も前に見た画塾先生の作品群が突然甦ってきた。そうか、先生はアル中なんかじゃなくて〝ホイッスラー〟だったんだと知った。

 ホイッスラーは1879年(明治十二年)に経済破綻。贅を凝らした邸宅、蒐集した日本美術品も競売されたとか。(Ⅱへ続く)。

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