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渡辺淳一『女優』②物語概要 [大久保・戸山ヶ原伝説]

tuboutitei_1.jpg コロナ緊急事態宣言解除(5月26日)で、図書館再開のはずだが、新宿図書館の通常利用は7月1日から。全蔵書を消毒でもしているのかしら~、うむ、給付金など超多忙区役所へ図書館員動員~と妙に勘ぐってしまった。

 かくして国会図書館サイトへ。幾冊もの当時の松井須磨子、島村抱月関連書がヒット。著作権消滅で閲覧自由。もう少し両人に迫ってみたいので、渡辺淳一『女優』①で抱月旧宅、須磨子の「大久保」検証をしたので、上記小説から〝愛のスキャンダル〟概要をまとめておくことにした。

 須磨子は長野県出身。離婚歴ありの24歳。次の夫は高等女学校教師。彼の勧めもあって坪内逍遥「演劇研究所」生徒募集に応募。色白で大柄な容姿。隆鼻手術済。気性激しく負けん気強くわがまま。合格後は演劇熱中で家事放棄。夫が逃げ出して再び離婚。

 明治43年、最初の試演会『ハムレット』でオフィリア役。体当たり演技の輝きで、帝劇から同演目オファー。小林正子から芸名・松井須磨子へ。帝劇そして大阪公演も大成功。次の演目は抱月翻訳・演出でイプセン『人形の家』。この時、抱月40歳、須磨子25歳。

suifuyoucyo_1.jpg 島村抱月は明治35年より英国・ドイツの3年半留学を経て早稲田英文科教授。知的・ナイーブ・無口のインテリ。学費援助の方の縁戚・島村市子と結婚。仲しっくりせずも4男3女を設け、夜はお盛ん~。

 『人形の家』で須磨子は大スター。文芸協会も有名に。併せて運営も大劇場(興業)志向になって「芸術性より大衆性重視」で、仲間内に亀裂が出来た。須磨子は男心を操る天性を有し、性もおおらか。稽古で胸がはだけても平気。抱月も彼女に夢中で、前回紹介の不倫デートを市子夫人が襲う大騒動へ発展。

 二人の仲は公然。坪内逍遥と早大総長が、二人の仲を冷やそうと画策するも逆に燃えた。逍遥が須磨子に退会勧告。抱月は大久保の須磨子宅に通い詰める。総長は逍遥と抱月の会談を設けて解決を図るが、抱月擁護派が新劇団創設に盛り上がる。逍遥も劇団運営に嫌気がさして研究所4年で解散。抱月らは「芸術座」創設。初期メンバーも各々「無名会」「舞台協会」「近代劇協会」などを設立。

geijutukurabuato_1.jpg 「芸術座」設立で、須磨子のわがままが強くなった。それに怒った座員らがボイコット騒動を起こしても、翌日の須磨子はあっけらかんと稽古再開で〝元の木阿弥〟。幕が上がれば須磨子人気で連日満員。地方公演は生活が乱れる。座員脱退騒ぎがあっても『サロメ』の幕が上がれば超満員。大正3年、抱月・須磨子は劇団内では四面楚歌も、トルストイ『復活』と挿入歌『カチューシャの唄』で人気爆発、全国公演から東京凱旋。巷に同曲が満ちた。以上が長編の約半分。

 小生、中学生の頃に「新劇」を幾度か観た。姉が行けなくなって譲られたチケット。その後、テレビドラマで役者が泣いたり・怒鳴ったりの演技に生理的拒絶反応。芝居も映画も好きになれず。中年の演歌仕事で、歌手らが公演「二部」で演じる芝居稽古・本番取材が多い時期もあったが、仕事でなければ〝舞台〟を観たいとも思わず。好きな役者・芸人・歌手なし。

 写真上は余丁町の坪内逍遥旧居の史跡看板より演劇研究所。写真中は酔芙蓉著『松井須磨子:新比翼塚』(大正8年刊。国会図書館デジタルコレクションより)の口絵。写真下は横寺町9・10・11番地の「芸術倶楽部跡」(島村抱月終焉の地)の史跡看板。

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