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瀬戸内寂聴「諧調は偽りなり」(その3) [読書・言葉備忘録]

sannsaikiji5.jpg 焦熱地獄となった関東大震災。不穏な朝鮮人の動き、その背後に社会主義者や無政府主義者らがいる・・・の「ダブル流言」。

 ちなみに荷風さんも大久保の母を訪ねるが、不審者と思われて戸を開けてもらえぬ。戸を叩くこと数時間。見かねた隣人が窓から覗いて「怪しい風体じゃない」と忠告。これでやっと門を開けてもらっている。同家から母方の下谷・鷲津家の安否確認に弟の妻と出かけることになるが、そこで自警団に「怪しい奴」と囲まれる。弟の妻の必死の説明で難を逃れると、今度は疲労困憊で歩けない。弟の妻に背負われてやっと帰還。荷風さん、自分の情けない姿は「断腸亭日乗」には書かぬが、真相はどこかから漏れる・・・。

 そんな荷風さんに私淑する邦枝完二は、震災当時は大久保・百人町在住。茶棚の物が落ちた程度で被害なし。同じく大久保で撮影所付き邸宅を持つ梅屋庄吉は、千葉の別荘で避暑中だったが、若者7名にコメを背負わせて上京。「亀戸」から徒歩で大久保に戻っている。邸宅の被害は僅少。大久保の地盤は強固らしい。

 これは後日に報じられるのだが、実は「亀戸」でとんでもない事件が起きていた。10月11日「朝日新聞」(写真上)に「復も社会主義者九名、軍隊の手で刺殺さる」の記事。亀戸署では近衛騎兵隊第十三連隊に応援を求め、震災当日から三日までの間に検束者一千三百余名で、銃剣を以って九名を刺殺。死体は石油を注いで直ちに焼却とあった。

amakasu1_1.jpg そんな物騒ななか、大杉夫妻は9月16日に産まれたばかりのネストル(初の男児)、ルイズ(1歳)、エマ(2歳)、魔子(6歳)を近所に預けて、鶴見の弟の安否と、弟が預かっている妹・あやめ(米国在住も病気療養で帰国中)の子・橘宗一(6歳)を引き取りに出かけた。その後姿を隣の内田魯庵夫人と魔子が見ていて、魔子が「あれはパパとママよ」と得意げに言ったとか。

 それが魔子が見た両親最期の姿だった。大杉夫妻は、出かけたまま行方不明。9日目に震撼の報が新聞(写真左)に載った。(続く)


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