日本橋川(25)「鎧橋」の谷崎潤一郎と池波正太郎 [日本橋川]
「江戸橋」下流に架かるのは「鎧橋」。橋右岸に「東証」こと東京証券取引所ビルが見える。貧乏なあたしには無縁だが、ここで120年余も株売買が行なわれてきた。昔の立会場は1999年閉鎖で、今は「東証アローズ」。株の話はさっぱりわからぬが、今は「アベノミクス」とやらで儲けている人がいるらしい。そんなもんは泡銭に等しい。橋詰に史跡案内板あり。
・・・明治五年、当時の豪商が自費で橋を架けた。前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し大いに賑わった。明治二十一年に鋼製のプラットトラス橋に架け替えられた。その頃の様子を文豪、谷崎潤一郎は『幼少時代』でこう綴っている。
・・・鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・ 私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・ 対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。
現在の橋は昭和32年に完成で、ゲルバー桁橋とか。そして明治24年の鎧橋の絵と、江戸の「鎧之渡」の絵が紹介されていた。
井上安治は、ここの景色に画趣を覚えたとみえて「鎧橋夜」「鎧橋之景」「鎧橋遠景」「鎧橋」の四作を遺している。橋詰めの案内板の絵は、井上安治「鎧橋」と酷似。車夫の姿までまったく同じで謎を残す。共に小網町から見た景色で、橋向こうの建物は第一国立銀行。清水喜助設計で五階建て。壁は漆喰塗り、屋根は青銅、天守閣状の塔が聳えている。明治五年竣功で三井組為替座だったが、間もなく第一国立銀行に譲り渡された。(井上安治画の木下龍也の解説文より)
右側の川沿いの洋館は明治21年落成の渋沢栄一邸。辰野金吾設計でベネチアのゴート式建築。国立銀行の初代頭取が渋沢栄一。この人はよほど金儲けと世渡りがうまかったのだろう。
明治・大正を経て昭和10年になると、池波正太郎が小学校を卒業して株式仲買店で働き出す。子供ながら内緒の相場で月給を上回る稼ぎで、大人の遊びを覚えたとか。勤めていたのは兜神社(江戸橋と鎧橋の間)と道をへだてた松島商店で、毎日、鎧橋を渡っていた。
かつて井上安治に画趣を沸かせた地だが、今は味気ないビル街で人々の欲望が蠢いているような気がした。