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華麗なるマティスのモデル遍歴 [スケッチ・美術系]

model1_1.jpg<マティス・メモ8> マティスは妻も娘も裸体モデルにすれば、マティス家には常に家族同然で暮すモデルがいた。だが彼は常に妻の夫、子らの父だった。一方、ピカソは好きになれば抱きたい。結果妻二人・恋人五人。だが彼女らに全裸ポーズをとらせて描くなぁ~んてこたぁなかった。

●ピカソの恋人フランソワーズ・ジロー著「マティスとピカソ」には両巨匠のアニマ、アニムスを分析。マティスにはマザーコンプレックスがあったらしい。以下はマティスの主なモデル遍歴。ここから画集を見れば、制作年からどのモデルを描いたかがわかる。他にも〝何か〟が見えてくる。

●1910年頃、画家とモデル・メルソンの関係に、妻アメリー不快感で夫婦間に溝。妻最後の「マティス婦人の肖像」。●1916年、イタリア女性ロレッタ。阿吽の呼吸。描くこと50回。長男ジャンが彼女と結婚したいと言うも招集令状で結婚に至らず。●1919年、49歳の時のモデルは19歳アルノー。打てば響く知性あり。2年間、彼女を描き続ける。

●1921年、アンリエット・ダリカレールと出会う。ダンサーでヴァイオリンも弾き絵の才もあり。(1926年にアンデパンダン展出品で1点買上げ)。7年間続く。●1927年、17歳のリゼットがモデルに。●1935年から24歳のリディアを雇う。黒髪、青い眼、妻の付き人、マティスのモデル、秘書もこなした。

●1938年、リディアに嫉妬したか、妻の主張でリディア解雇。彼女は自殺も図るが一命を保つ。マティスが請うてリディア復帰。●1939年、妻が別居契約書作成。所持品二等分。●1954年11月3日、娘とリディアに看取られた84歳で没。

●リディアは15年前から用意してあったスーツケースを携えてアトリエを去り、その後に妻が入って遺品整理。他にマティスのモデル数知れず。全裸体モデルで、舐めるほど近づいて描いたマティス。彼の〝男〟はどうなっていたんだろう。あの小難しい顔は、内なる欲望を抑圧し続けたゆえでもあり、と思えてきた。小生はなんだかピカソの方が好きになってきた。

●カット絵はリディアを描いた「夢」の簡易模写。広角レンズっぽい微妙なデフォルメがいい。舐めるほど近寄って描いているゾ、「あぁ、舐めたい」とマティスが言っている。舐めりゃいいのにね。


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